対談「lifeを探して」8回目の相手は陶芸家の岩田圭介さん。一見武骨のようで温かく、遊び心や色気まで感じさせる作品はどうやって生まれるのか。創作の源流と展開に迫ろうと、辻和美が福岡県福津市の工房を訪ねました。(Tは辻、Iは岩田。対談は2025年2月末、福津市の自宅兼工房で。構成・鈴木弘、写真・沼田万州美)

T :岩田さんは彫刻科の出身ですが、どうして陶芸の道に進んだんですか。今更ながらの質問で恐縮なんですけど、まず始まりから教えてください。
I:もともと陶芸をやろうと思って彫刻に行ったんですよ。
T :えっ、そっちでしたか!それは意外でした。
I:父親が美学の先生をやってて、子供の頃からよく小鹿田焼(おんたやき)とか近くの窯まつりなんかにハイキングがてら連れて行かれたんです。育った添田町は炭鉱町で夜番を終えた炭鉱夫が朝から角打ちで酔っ払ってたりする荒っぽい所でした。それで窯まつりに行くと、むしろを敷いてすだれで陽を避けながらコーヒーカップの取手なんか付けてる。すごくのんびりした風景が広がっていて、いい暮らしをしてるなあと憧れました。中学ぐらいの頃から焼き物の世界に行きたいなと思ってました。
T :でも陶芸をやるなら高校の窯業科とか大学の陶芸専攻とかもあるのに、どうして彫刻科を選んだんですか。岩田さんの作品には陶芸だけ勉強してきた人には出せないような、彫刻を学んだからこその魅力を感じるんです。ワンクッション置いたから良かったのかな。
I:うん。いきなり焼き物やって誰かに弟子入りしてたら全然違ってたかもしれない。

T :瀬戸の河本五郎さん(故人)に弟子入りしようと思ったのは何かきっかけはありましたか?
I:大学の4年、卒業する年にたまたまチケットをもらって行った現代工芸展で五郎さんの仕事を初めて見たの。それで「ああ面白いな」と思って。
T :すごく彫刻的な作品ですよね。器屋さんと言うよりも。
I:そう。色絵でバアーっと描いたりね。今まで考えてた焼き物とは全然違ってた。ここにあるのもそうだけど。
T :それですぐ弟子になったんですか?
I:どうすれば弟子入りできるか、焼き物の先輩に相談したら、とりあえずどこかの専攻科であるていど基礎を覚えてから頼みに行った方がいいだろうと。それで多治見の専攻科に行ったわけ。1年のコースが終わる頃、頼みに行ったんだけど最初は断られた。当時、五郎さんの所には弟子が3人いて。もうちょっと粘ってみようと思ってるうち弟子の1人がインドに行って、帰国後も工房に戻らないと。それで先生から「もう1回来なさい」って声を掛けてもらったの。
T :そこでの修業は何年ですか。
I:4年半。土の粉を砕いたり、窯の作品、湯呑みのボディーを作ったり。毎日、それの繰り返し。
T :轆轤(ろくろ)で?
I:粘土の板。たたらで作った。そればっかりだったな。大きな仕事を手伝う時もあったけど。

T:独立しようと思ったのは、何か仕事に手応えを感じるようになったからですか?
I:もうじき30歳だったしね。先生の所にいる間も自分の作品を作って陶芸展に出したりはしてて。それは自由にやらせてくれた。その頃、瀬戸の陶芸協会展に小さな花器を出したら初めて1個売れた。そういうのもあったかな。
T:30歳での独立は怖くなかったですか?
I:怖くはなかったね。ダメならバイトやりゃいいやと思って。
T:それで実家に戻って窯を作ったんですね。作品はどこで売ったの?
I:最初の窯はガス窯だった。九州では「窯開き」って言って、自分の工房の一角を展示室にして、そこで見てもらって買ってもらうの。この辺の焼き物産地はみんなそう。知り合いも来てくれるし。それでなんとか食える程度にはなった。
T:それからの、作家としての転機は何だったんですか。
I:東京の赤坂に乾ギャラリーと言う所があって、元は名古屋にあって五郎さんの所にいた時にしょっちゅう出入りしてて、そこのおばちゃん(オーナー)が仕事を見てくれてて「そのうち個展やってね」って頼まれて。結婚した後だから、32歳だったかな。それまで博多では2人展をしたことはあったけど、個展は初めてだった。「納品書ないの」って聞かれたけど、何しろこっちは初めてだから納品書の書き方も何も知らなかった
T:そうやって東京に出て、だんだん全国区の作家さんになっていったんですね。
I:乾でやった時におばちゃんに「こことここ回って来なさい」「作品持って挨拶しておいで」って何箇所かギャラリーを紹介されたの。その時は桃居(西麻布)は行けなかったんだけど、二つ三つ回ったらサボア・ヴィーブル(六本木)でコーナー展をやってみようかという話になって。やってみたら上々に売れて「あ、行けるな」と。その頃からかな、なんとかやれると思うようになったのは。

T:岩田さんの展覧会と言えば、Zakka(表参道)というイメージが強いんですけど、どんな出会いがあったんですか。
I:眸さん(吉村眸、Zakkaオーナー)が来たのは早かった。お店のオープン前だった。美智子(岩田美智子、妻、造形作家)の同級生のお姉さんが眸さんと仲良しで、そのツテで興味を持って添田の工房まで来てくれて、乾の個展も見てくれて。その頃、自分はいわゆる「美術工芸」的な器を作ってたんだけど、眸さんのお店に行ったら置いてある作品がカッコいいの。哲平ちゃん(小野哲平)とか村木さん(村木雄児)とかね。ちょっとショックだった。それで眸さんが「こんなの作って」って言っていろいろ教えてくれた。工芸の器とは全然違う世界だった。
T:生活者目線だから全然違いますよね。それでZakkaで展覧会をするようになったんですか。
I:割と早かったと思う。次第に常設で定着してきたので個展しようかって話になった。
T:岩田さんの代表作の急須もZakkaとの付き合いから生まれましたか?
I:カフェ部門を作るから大きめの湯呑み3、4杯分が入るような急須を作れないか、って言われて。それまでやったことがないから最初は作り方が全然分からなかった。とにかくやって見たら形が崩れて穴が全部埋まってしまって「え、何」って感じ。それで哲平ちゃんに電話して聞いたら「そんなことも知らないの?」って驚かれた。急須は当然、内側に薄い釉薬を掛けるんだよ。穴はフッって息を入れて。それでようやくできるようになった。
T:それで1日1個は絶対に作るようになったんですか?
I:何回か作ったら急に売れ出して注文に追い付かなくなって、それでも、頑張って、1日3個作ると、嫌になって「もういい」と思うようになった。苛々するぐらいなら1日1個にしようと決めた。そうすると、ストレスがなくなって、もっと時間をかけて丁寧に作れるようになった。今は1日1個のペースが丁度いい。
T:急須からのバリエーションで丸い片口も生まれましたよね。ズーマでもミルクピッチャーとしてよく使わせていただきました。あと、最近の作品は薪釜のモノもありますよね、窯を薪でたくのと電気で焼くのと、作るものにどんな違いがありますか?
I:土を変える。それだけ。
T:それだけ? 仕上がりが違わないですか? 表面のテクスチャーとかのことです。薪では偶然性があって、電気焼成はコントロール可能に見えるんですけど。


I:大体そんな感じ。電気でも微妙には違うんだけども、ほぼ狙ったものを作ることができる。穴窯はやっぱり、土が全然違うし、置く場所によっても仕上がりが違ってくるから、予想以上のものになったり、ならなかったり。薪の作品はこれからも作りたいと思う。
T:岩田さんが作品作りで大事にしていることってなんですか?
I:手を抜かないこと。時間に追われて慌てないこと。価格なども含めて広い意味で誠実であること。あとは、自分が観たいものを作ることかな。
T:いやいや、それは身に沁みますね。岩田さんはゼロから形を作れる人だと思うんですけど、若手の古いモノの写しの作品については、どう見ていますか?
I:まあ、いいんじゃない?(笑)
T:私もよく古い陶器の形をガラスに写すんですが、やはり、ゼロから作れる作家に憧れますね。
I:まあね。キム(キムホノ、瀬戸)さんとかね、その典型だけど。見ててもはるかに面白い。写しをする人は器用だよね。
T:何かこれから挑戦したいことはありますか?
I:5月くらいに小さな電気窯を購入するんです。楽焼をちょっとやってみたいと思って。もう10何年もやってないんだけど。
T:その楽焼は、パリとかで作っていましたよね。一個持ってますよ。では、今回、金沢ではどんな作品を見せてくれるんでしょうか。
I:割とカラフルなものが多いかな。デカルコマニー(転写画)のね。佐々木美穂さんとの共作の碗。急須も出すよ。
T:楽しみです。会期中、カフェでは岩田さんの作品でお茶を飲んだり、お菓子を食べたりしてもらおうと思っています。

T:最後の質問です。ズーマの新しいお店には「life」という名前を付けました。lifeには命とか日常とか生活とか大切なものとか、色んな意味があるんですけど、岩田さんはlifeと聞いて何を思い浮かべますか。
I:うーん、分かんね。・・・まあね、思い付きだけで生きてる人間だから。やりたくないことはやらない。嫌な事からは逃げる。それが人生。

<略歴>
岩田圭介(いわた・けいすけ)1954年、福岡県添田町生まれ。日本大学芸術学部彫刻科専攻・卒業。多治見工業高校窯業科を経て表現としての陶磁器を追求した瀬戸の河本五郎氏の元で学ぶ。1983年、郷里の福岡で独立。国内をはじめ台湾、韓国、フランス、アメリカなど海外でも作品を発表。朝日陶芸展、焼き締め陶公募展などで受賞。2025年は金沢の後、蒲郡、奈良で展覧会を予定。
<旅のメモ>
初日の昼は福岡空港から車で約1時間の岩田家からさらにドライブして着いた宗像市の「こなみ」で。製麺所直営のうどん店は地元の食材を使った季節のうどんと昼呑みが楽しめる鄙の名店。夜は博多に戻って和食の「ようは」とミントを水耕栽培するピンクライトが怪しげな「MINT BAR HACCA」へ。翌日は人気のパン店DACOMECCA(ダコメッカ)、I’m donut?(アイムドーナツ)で行列。1000円で揚げたての天ぷらが食べられる「ひらお」でコスパの高さに感激。
<編集後記>
昼酒が入ってもあまり多くを語らない岩田さんを横から美智子さんがフォローしながらの小1時間。口数が少ないのは嘘が嫌いだから、誠実さの故と受け止めた。本当は理屈などいらない。ずっと見ていたい、触れていたい作品がそこにある。その幸せを改めて思う。(鈴木)
82nd exhibition
iwata keisuke
2025.03.21 fri. — 04.13 sun.
●3/21(fri.)-23(sun.) 岩田さんの器で楽しむコーヒーとお茶、そして月とピエロさんのお菓子
