対談「lifeを探して」⑱奥村忍「届けたい 暮らしを照らす手仕事」
対談「lifeを探して」の18回目の相手は、手仕事から生まれた生活道具を扱うWEBショップ「みんげい おくむら」店主の奥村忍さん。1年じゅう国内外の産地や作り手を訪ねて奥村さんが追い掛ける民藝(民衆的工芸、民芸)とは何か、古物好きでショップの利用者でもある辻和美が聞きました。
(対談は2026年4月、千葉県船橋市内の「みんげい おくむら」事務所で行った。構成・写真 鈴木弘)


辻:factory zoomer /lifeでは初めての展覧会になります。まず「みんげい おくむら」とは何か、どういう経緯でオープンしたのか、そのあたりから教えてください。
奥村:僕は今45歳ですけど、20代半ばに「民藝」という言葉に出合いました。ただ言葉を知る前から、実家では沖縄とか益子(茨城)とかの器を使ってました。母親が好きで、家には民藝のものから作家もの、ロイヤルコペンハーゲンとかウェッジウッドとか色々ありました。
辻:そういった器に小さい頃から接してたんですね。
奥村:だから意識せずに民藝のものとは交わってました。それで20代半ばに大阪で暮らすんですけど、もともと転勤はない前提で入社したから、まあ1年ぐらいだろうとマンスリーマンションに引っ越したんです。そしたら家財道具は全部揃ってるけど何一つ好きじゃないんですよ。で苦しくて。何だろうこれはと思ってた時、大阪の友人から引越し祝いのようにしてガラスのコップをもらったんです。
辻:作家ものですか?
奥村:個人でやってる大阪の作家さんのです。で、そのコップが1つ家に入ってきた時にパーンと何かが変わったんですよ。千葉の実家だと自分の部屋は自分の好きな物で構成されてるから居心地がいいじゃないですか。でも何の縁もゆかりもないものばかりの所に放り込まれたら、こんなにストレスなのかって思ってたんです。
辻:当時はどんな仕事をしてたんですか。
奥村:雑貨のメーカーで営業やってました。
辻:生活環境が一変した上に、無機質な空間にいるのがストレスだったんですね。
奥村:僕はすごく本を読むから新しい家でもどんどん本を買ってたんですけど、その中に民藝の本もあって、自分が暮らしに対して思ってることと民藝の先人が書いてることがすごく近い部分があるなと感じてたんです。民藝の人たちは、その手の仕事を生活に取り入れることであなたの暮らしが良くなりますよ、って言ってて。20代の自分は疲れ果てて帰った時でも好きなものがあると生活に潤いを感じる。じゃあ自分が好きなものは何だろうって考えた時、実家の暮らしを振り返ると食器は民藝のものだったんですよ。家では沖縄の器とかを選んでました。読んでる本と実家で使ってた食器はリンクしてるなと思って。それで関西だから週末ごとに西日本各地を旅してたんです。砥部焼(とべやき、愛媛)とかの産地だったり、民藝的な所だったり。作り手に自分と近い世代の人がいるのが面白かったんです。
辻:手の仕事はおじいさんがやるもんだと思ってました?
奥村:そうですね。もっと上の人たちかと。それで若い人たちの作ってるものが結構かっこいいし、いいなと思ってちょこちょこ買って帰るわけです。それで大阪の1人暮らしの家もそれなりに充実してきて、料理の腕も少しずつ上がっていくんです。あの頃、東京の銀座にある老舗の民藝店にも行ってみたんですけど、そういう所は新しい風が吹いてなくて、これじゃ全然みんなの目に届かないぞと。
辻:それでWEBショップを始めたんですか。
奥村:当時、インターネットで物を売ることが普及し始めていて。じゃあこの手法で自分が民藝のものを紹介したら、老舗とは競合しないだろうし、民藝の仕事を知る人が増えていいんじゃないかと思って。それがスタートです。民藝運動を提唱した柳宗悦(やなぎ・むねよし)に「手仕事の日本」っていう有名な本があって、柳の時代の手仕事の全国マップなんです。僕もこれを頼りに各地に行くんですけど、もう結構ないわけですよ。90年前の世界と今の世界では当然ものすごい変化があって、生活の変化の中で無くなっていく手仕事がある。それなのに民藝の本筋の人たちは、いまだに民藝の漢字表記が旧字か新字かなんて議論してたり。うちが民藝をひらがなで書くのは、そこに繋がるんです。
辻:どうして「みんげい」なんだろう、って思ってました。
奥村:問題はそんなことじゃなくて、もっと大きなところで民藝が直面しているものとか、もっと今の普通の暮らしをしてる人たちに伝わることがあるんじゃないかな、っていうのが「みんげい おくむら」の出発点です。
辻:奥村さんも紹介されてますが、民藝運動では「少年民藝館」(外村吉之介)という分かりやすい本もありましたね。あの本私も好きです。
奥村:柳の本は非常に難解なところがあるし。具体的なものを離れて「論」になってしまってる部分は誰にとっても難しいですよね。それをどれだけ易しく伝えるかというところで書かれたのがあの少年民藝館です。実際の世界中のものを通して子供に分かるような表現で書いてるから、自分にとっても1つのバイブルです。民藝を生活に取り入れることで自分たちの心掛けが変わって、それによって生活がより良くなる…。
辻:最初の話に出てきた民藝の理念ですね。

奥村:それはいたずらにものを集めることじゃないんですね。僕からすると自分の大阪時代の経験でゼロが1になった瞬間にすごい変化がありました。店を始めた2010年の段階でも民藝って少し重心が低いもので。例えば家具を松本で揃えて民藝店から食器とか色んな物を買って、それだけで暮らそうとするとちょっと重い。
辻:確かに、今の時代には重たいです。
奥村:柳宗理(柳宗悦の長男、インダストリアルデザイナー)はプロダクトの人っていうのがあって、民藝本体は宗理さんとかプロダクト、無印(無印良品)に通じるようなものを受け入れられなかった。だけど僕らの生活はもうそっちにいってる。だからどんな比重で民藝を生活に取り入れるかは、人それぞれだと思うんです。古民家に暮らす人は民藝的なものを7、8割やるかもしれないけど、都会のマンションに住んでる人が民藝を揃えてもチグハグになる。どれだけ民藝を持ってるかじゃなくて気持ちの問題で。限りある資源の中から人の手が生活のための道具を作り出してることがすごく尊いことで、自分の生活の中に取り入れること自体がすごく意味のあることで、その比重がどれぐらいかはそれぞれの生活とか経済とかで変わっていくことだと思います。
辻:奥村さん自身はどうなんでしょうか?
奥村:僕が今、民藝において最も重要視してることは、その土地なんです。その焼きもの、その工芸がそこから生まれている理由。だいたい焼きもの産地って農業もやりにくいような土地で、そこから生まれる粘土でものを作って暮らしてきてる。決して恵まれた土地じゃないんだけど、何百年という歴史の中で地元にあるものを人間の頭や手の工夫で色んな形にしていったわけです。それがたまたま生活のための道具であったということで。だから僕が今、民藝の中ですごく大事にしているのは、その土地であったことをどれだけ表現できているか、なんです。
辻:ちょっと料理と似てますね。
奥村:そうなんですよ。ワインの言葉を借りると、いわゆる「テロワール」に近いようなね。民藝の条件の1つに廉価、一般の人が買いやすい、ってことがあるんですけど、それだったらとっくにプロダクトになってるわけじゃないですか。
辻:確かに。
奥村:でもプロダクトを否定した。それはどうしてかと言うと、安く売るよりも大事なことが当然あるからですよ。僕はそこに土地性、その土地をその土地の素材で表現してるということがすごく重要だと思っていて。実際、ここ10年ぐらいの民藝のものの値上がりを見ると、到底庶民のものではないですよ。
辻:そんなに値が上がったんですか。
奥村:そう。よく裏山で土を掘ってきて焼けば原価タダでしょとか、ガラス瓶を酒屋からもらってきて砕いて溶かしたら原価タダじゃないかって言う人がいるけど、冗談じゃない。そこに付随する作業、使うエネルギー、どれもが原価で、それをピュアにやればやるだけものすごいコストがかかるのに、あんまり顧みられない。民藝の人たちが苦しいのは、庶民のものだっていう考えに作り手自身が縛られているからなんですよ。
辻:民藝の人たちは多分その辺に使命感を感じてるんじゃないですか。
奥村:でもね、廉価であることを大事にすると、作る中で大事なことが抜けてくるんですよ。例えば薪窯を捨てるっていうのも1つの選択肢で時代の変化でね。薪窯から灯油窯、ガス窯。よりやり易い方向に向かってきてる人たちがいるのも事実です。
辻:じゃあ奥村さんが民藝のものを選ぶ基準は? オンラインショップでは何を売ってるんですか。
奥村:実際、お店を始めた時はプロダクトもやってたんですよ。それは自分の生活がそうだったから。どっちもいいっていうのを、自分のお店で表現したかったんです。
辻:基準の1つ目は自分ですか。
奥村:結局、自分の生活の中からしか見えてこないわけですよ。だから店を始めて7年目で子供が生まれたことで視野がだいぶ広がったんですけど。そうやってお店も当然変化していくけど、基本的にはやっぱり自分がまず中心にあります。そもそも「みんげい おくむら」って名乗ってますしね。
辻:2つ目は日々の暮らしね。
奥村:ただ心地が良いということだけではセレクトにはならないんですよ。プロダクトはよく考えられてて、誰の暮らしにも当てはまる最大公約数的なところに落とし込んでくんだけど、手仕事のものはそうなりきらないところが当然あるんですよね。例えば小鹿田焼(おんたやき、大分)の皿は重ねて焼くからどうしても深さが出るんです。これを飲食店に持ってくと「もうちょっとフラットだったら料理が盛りやすいんだけどな」って言われる。でもこれを重ねないで焼くと空間が余るわけです。窯の容積を無駄にする。手仕事である以上、誰かの生活にとってベストじゃないかもしれないけど、作る上での制約条件を僕らが受け入れてあげる方がいいじゃないですか。

辻:結局、奥村さんが選ぶ民藝はどこがポイントなんですか? 何が奥村さんのハートを掴むんでしょうか。
奥村:やっぱり基本的には土地性ですよ。それが1番大きい。それを外したら、個人作家さんのセレクトショップでいいわけですよ。土地性、その土だからできてくる形とか色とかね。
辻:それは旅が好きなのにも繋がってますか?
奥村:そうです。
辻:なるほどね。すごく可愛いのもあるし、骨太なのもあるし、どこを見て何を基準に選んでるんだろうって思ってました。
奥村:まあ可愛いのはね、どうしても入り口に必要ですから。
辻:私はずっと入り口の方にいるかもしれない。それで日本だけじゃなくて、中国とかアジアを旅してその土地の民藝を紹介する理由は何ですか。
奥村:その手の仕事を本当に生活で使ってる、生活自体が残ってる、ってことです。柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう、染色工芸家)さんが93、4歳の頃にお話を伺った時に「もう日本には生活がないんだから、民藝なんて言葉に騙されるな」「本来の民藝なんてもうないんだから、そんなところから早く脱却しろ」って言われたんです。いくら道具を作り出しても生活の実感がない、っていうのは本当で。僕らはそれをただお金で買ってるだけだから、結局SNSを意識した編集合戦になるわけじゃないですか。
辻:はい。
奥村:僕とすれば、その言葉に出合う前からアジアの僻地で電気が通ったかどうかって所でお金に頼らなくても100パーセント生きていける人たちを見てるわけですよ。動物を飼い、糸を紡いで服を作り、畑と家畜で食べるものは賄えて、明日この世界からお金が消えても自分たちの暮らしは続いてくみたいなね。
辻:それは強いですね。
奥村:でも僕らも3.11の時、1回それを考えたわけじゃないですか。電気がこなくなって火も起こせない。食料はコンビニも空になって。少しでも生きてる実感が必要だから都会の人たちも畑を借りたり。でも、それって道具だけじゃダメなんですよね。お金があって道具を自分の生活に編集するだけでは空虚な話なんです。ちょっと矛盾するけど、その心掛けがあったとしても、そこに生活がなかったら意味がない。で、そういうのを自分で見に行きたいし、見に行くことでその人たちの生きる力から何かをもらいたい。
辻:その人たちのエネルギーをまた仕事にフィードバックしていく。やりがいだらけですね。
奥村:そうです。リアルの売り場と僕がやってる売り場の違いは何かと言うと、インターネットの売り場はいくらでも情報を出せるじゃないですか、文字と写真で。それを読む読まない、影響を受ける受けない、は相手の勝手なんだけど、少なくとも僕としては伝えたいことを残していける。これがすごく大きいと思うんです。
辻:確かに。私は奥村さんの言葉で買い物してますね。
奥村:買い物の体験って面白くて、リアルの店に行ったからって1つのものをどこまで理解して買ってるか、ってことなんですよ。例えば見落としもあるわけじゃないですか。リアルだからって別に100を理解して買ってない。でも理解して買ってないからこそ、その先に面白さがあったりするんです。自分が気付いてない何かが届いてみたらあって、意外とこうだよね、みたいな。


辻:私はリアルショップが1番だと思ってるんですけど、それが一番良いわけじゃないと今初めて思いました。セレクトしてる私は店にいつもいるわけじゃない。それより、ちゃんと書いて伝えられる店主がいるオンラインの方がいい場合があるかもしれませんね。ここは勝負ですね。(笑)
奥村:そこは面白いところですよね。うちの場合、すごく大事にしてることの1つに、商品の写真を白バックでなんてことなく撮る、ってことがあります。いいイメージを作っちゃうと、届いた時「なんだ普通だなー」ってなっちゃうんですよ。そこで盛り上げた方が売れるかもしれない。だけど僕はやっぱり伸びしろが好きだから、写真なんかつまらなくていいんです。過不足なく写ってれば。
辻:それはさらに強敵ですね。それで中国の話になりますが、旅した中で1番気に入った場所はどこですか。
奥村:やっぱり中国では原点である貴州省ですね。暮らしが1番残ってる。隣の雲南省はとにかく豊かなんです。食材、山、水、土、どれも本当に素晴らしくて。貴州省の人たちは逆立ちしても勝てない。地形が暮らしにくいんです。例えばミャオ族の人たちはもともと北京に近いぐらい北にいたんですね。それがどんどん迫害されて逃げていって、最終地点が貴州の山の中だから、もう追っ手が来ないぐらい暮らしにくい場所なんです。米は作れない、塩も取れない。そういう中でものすごく工夫して生きてきたわけですよ。暮らしの知恵、生活道具、食文化の素晴らしさ。アジアの色んな国を旅した中で最もピュアかもしれないですね。
辻:なかなか簡単に行けそうな場所じゃないですね。
奥村:貴州はハードです。トイレ問題とか、ホテルの快適さとか。まあだいぶ変わったと思うけど。自分にとっては本当に心のふるさとですね。去年、雲南省に5回行ったんです。キノコの季節に合わせて4月から9月ぐらいまでに集中して。うち2回は途中か最後に貴州省に行ったらホッとするんですよ。びっくりしました。自分の本能に訴え掛ける何かがあるんでしょうね。「帰ってきた」って感じがするんです。
辻:貴州には何回ぐらい行きました?
奥村:20回は行ってます。1回の滞在は短くて1週間ぐらい。
辻:全部足すと1年くらい住んでる計算になるかもしれませんね。
奥村:去年は1年間で100日以上は中国にいたから、通算したら余裕で。それで生活が残ってる、っていうのをもう少し噛み砕くと、貴州には極端な話、日本の江戸時代ぐらいの暮らしが残ってて、それ以外の田舎は多分ほとんど日本の戦後なんです。日本は高度経済成長期が来て、柳の本に載ってる手仕事たちがどんどん消えていった。その局面に中国もいるわけです。
辻:消えていく中国の手仕事ですか…?

奥村:自分の本の3作目がまさにそこに通じるんですけど、柳宗悦から80年、90年の時を経て、「みんげい おくむら」が生まれた。そのポコっと抜けた間が今の中国にあって、自分は多分それを見てるんだと思うんですよ。
辻:貴州では何を買うんですか。
奥村:主に布関係です。それから布や民族衣装に付随する装身具、銀細工とか。それを追い掛けてたら、いつも布を買いに行く所の隣町に焼きものの産地があったんですよ。それも現在進行形の産地。まだ4代、100年ちょっとの。それも貴州のど田舎に漢民族なんです。
辻:それは珍しいことなんですか。
奥村:中国の焼きものの歴史を見ると面白いんだけど、江西省に景徳鎮という一大産地があるわけですよね。そこの技術を持った人たちが何らかの理由で各地に行ってるんです。招かれた人もいただろうし、半ば夜逃げみたいな人もいただろうし。そういった中でその貴州の田舎町にもわずか4代しか続いてない焼きものがあって、それが日本の民藝以上に民藝的で僕はめちゃくちゃ好きなんです。この産地が面白いのは、ろくろじゃなくて鋳込み型で作るところです。
辻:型で焼いてるんですね。
奥村:ろくろは酒瓶とかを男衆がいまだにしてるんですけど、型は女性の仕事で。型だと一日に何百個もできるんですよ。
辻:それだとすごく安く作れます。
奥村:そう。だけど、薪窯で焼いてる焼きものの良さはちゃんとあるんですよ。やっぱり日本は陶芸大国だから、産地が型の仕事を積極的に取り入れることに精神的タブーがあるんですよね。でも僕はこれがすごい民藝だと思うんです。だってこれ窯からの出し値が一枚20円とかですよ、この時代に。それをうちで1400円で売ってるんだけど、ほぼ輸送賃です。で、これが今駆逐されつつあって。貴州にも高速道路が延びて、もっと安い産地から味気ない焼きものが大量に入ってきてて、負けそうになってるんです。
辻:それでこっち側の話なんですが、日本で2000年代ぐらいから作家の自己表現じゃなくて人の暮らしをベースにした、もの作りが盛んになって、私たちは「生活工芸」と呼んでますけど、奥村さんからはどんなふうに見えますか。
奥村:生活工芸はすごい痒いところに手が届いてて、民藝でいう形とかの制約条件を軽く飛び越えたもの作りですよね。個人的にも三谷龍二さん(木工家)のものを含めてたくさん見てるし、生活工芸が好きな人のお宅なんかで見るとやっぱりよくできてる、って思うんですよね。すごくいい。
辻:マイナス部分も気にせず言ってください。
奥村:うん。やっぱり僕の追い掛けてるものは、しっかりと地球に根っこがあって、その根っこ故に重心の低さがあるんですよ。これは選ぶ人の好みの問題で、どっちがいいとかじゃないから。僕はあくまで根っこを張った側からのアプローチでいくし、辻さんたちはもの作りから人の生活に問い掛けていくし。で、買う人は自分の生活にうまくどっちも取り込んだら楽しいはずなんですよ。
辻:それで金沢での展覧会は、どんなセレクトになりそうですか。絵付けの器とお茶関係をリクエストした記憶があります。
奥村:はい。今回は染付ですね。比較的新しいものになります。とはいえ清の時代の終わりから中華民国、中華人民共和国が始まって割と最初の頃ぐらい。中国の歴史の中で大きな転換期にあった時代の工芸です。今回は染付なので磁器が多いわけですが、磁器で1番の産地といえば世界に名の知れた景徳鎮ですね。ここは皇帝のための官窯、庶民のための民窯の両方を持った産地なんです。古くから世界に輸出してるし、高い技術を持った人の中には皇帝のお抱えもいました。中国では民藝のような概念がなくて、工芸の美というのは時の皇帝に献上されるようなものが美で、庶民的なものの中に美を見出すということは伝統的になかったわけです。このへんののんびりしたものはいわばキワモノです。
辻:キワモノですか。民窯の中におおらかな絵を描く人たちがいたんですね。
奥村:その土地とか周辺で暮らしてる人たちの普通の生活道具っていうのは、こういうものだったんですね。景徳鎮にあまたある仕事の中で僕が抽出してるのは民藝的な概念を持ちつつ、美しいもの。
辻:この辺の民窯を奥村さんが選んでくるのは、やっぱりその時代のその土地の生活が垣間見えるからですか。
奥村:そうです。例えば器の表面に漢字が1字彫ってあるんです。あれは所有者の名前なんですよ。中国では古くから持ち寄りの文化があるんです。村の中でみんなでやる行事があって、そこに料理を持っていく時に皿の所有者が分かるようにしたんです。
辻:そういえば私が奥村さんから買った蓋碗にも1字書いてありました。持ち主の名字だったんですね。

奥村:中国でもここ10年ぐらい、柳の本が中国語版になったりして、民藝の概念がアンテナの高い人たちの間には伝わってきてます。若い人たちでセンスのいい人たちはみんな民藝を超越して坂田さん(「古道具坂田」店主の坂田和實、故人)の本を読んでます。坂田さんを知った人たちが、さらに民藝というところに来て、「これは我が国、我が地域にもいくらでもあるんじゃないか」って考えてる時期です。
辻:じゃあ最後の質問です。奥村さんにとって「ライフ」とは。
奥村:やっぱり旅です。みんなよく旅から何かを持ち帰るって話をしますけど、僕の場合は月の3分の2は外に出てますから、旅が日常なんです。例えば旅の朝に宿で3時間、次に売り出す商品の登録をしたりするんですよ。そうしないと売り上げが立たないから。だから旅をしつつ日常を崩さない。生活の基本がものを見つけるための旅にあって、帰ってきて家族といる方が非日常です。僕らはやっぱり動かなくなったら終わりだし。昔「動く距離に比例して面白いことができる」って言われたことがあって、実際そうだと思います。
辻:足で稼ぐ仕事、ですね。
奥村:絶え間なく旅をしてるからこそ見つかるものってありますね。その面白さがなくなると自分のお店なんかは簡単に飽きられちゃう気もするし。中国のものを持ってきてるからこそ見える日本の焼きものとかもの作りとか作り手の位置とか。これがあると自分にとってすごく健全にものが見れるんです。
辻:金沢の展覧会はなんとも軽やかな感じになるんじゃないかな。楽しみにしてます。
奥村:僕も楽しみです。荷造り頑張らないと。

<略歴>
奥村忍(おくむら・しのぶ)1980年、千葉県船橋市生まれ。慶應大学経済学部を卒業後、台湾やアメリカ、ベトナムなどを放浪。商社、メーカー勤務を経て、20代終わりの2010年にWEBショップ「みんげい おくむら」をオープン。国内外の工芸産地を巡りながら手仕事や旅、食に関する執筆も手掛ける。著書に「中国手仕事紀行」(青幻舎)。増補版に続く第3弾が今秋出版の予定。
<編集後記>
「旅を枕」の人なのに、慣れた手つきで和食を振る舞い、土地性に裏付けられた民藝の魅力を語る姿は、地に足のついた生活者のようで、そのギャップがなんとも不思議です。各地の料理人と行く次の中国ツアーではオオサンショウウオを食べるという話も刺激的でした。(鈴)
92nd exhibition
mingei okumura
2026.05.29 fri. — 06.28 sun.
