まだ冷たさが残る2月末、寒がりな三谷さんは、新しい漆工房を温めて私たちを迎えてくださいました。

今年の2月末にお邪魔させていただいたのは、長野県松本市に工房PERSONA STUDIOを設立し、昨年4月に漆工房を移転された三谷龍二さんの新しい漆工房です。そうです、心待ちにされていらっしゃる方も多い、三谷龍二さんの展覧会が今年9月18日から金沢のfactory zoomer /galleryで開催されます。 /galleryでは2度目、dogsのグループ展を入れると3度目となる9月の展覧会はどんな展覧会になるのでしょうか。今日は、今年の展覧会に先駆けて、三谷龍二さんのお話を少ししたいと思います。
1952年、福井県福井市に生まれ、18年間を福井で過ごします。
19歳の時、友人に誘われて京都にある劇団に入り、大道具や、ポスターの制作を担当することになり、約6年間劇団生活に身を置き、ピリオドをうちます。この6年間の経験は三谷さんにとって、とても大きなものだったそうです。
26歳の時、たまたま立ち寄った地元福井の画材店で1本の彫刻刀を購入します。この1本の彫刻刀が、後に木工に携わるきっかけ、木工デザイナー三谷龍二が誕生することになるのですが、この時はまだそんなことになるとは。。。
1本の彫刻刀と共に、福井から長野へ、長野から東京へ、職を転々としながら最後に長野県松本市に落ち着きます。長野県は、木材が豊富に揃う場所として知られています。特に松本は、湿気の少ない気候なので木材の乾燥に適し、家具作りが古くから盛んに行われていた地域でした。三谷さんは松本で職業訓練校に通い、木工の技術を学びます。いよいよここから木工の世界へと足を踏み入れることになるわけです。
1981年(29歳)、松本にペルソナ工房を設立します。
最初は木のブローチを制作し、ホテルやペンションの一角に置いていただきながら生計を立てていました。当時、木工仲間達はテーブルや椅子などの家具を作っていました。長く使える生活道具で、もっと生活に近いものと考え、木のブローチを制作する傍ら、バターケースやカトラリーなどの木の器を作り始めますが、最初はなかなか売れなかったそうです。ブローチは約10年ほどで制作をやめ、その後は、木の器を中心に制作されます。三谷さんにとって、スプーンなどのカトラリーは、制作で大きな役割を持っています。まずお客様は、1本のスプーンを購入して使ってみます。口に触れる感触や、手触りなど、身体で木という素材に直接触れ、生理的に木の良さを感じていただくことができ、そこから木の器を幅広く使っていただけるように繋がっていくのです。

1985年(33歳)、「クラフトフェアまつもと」(松本市)発足より運営に参加します。
この頃の日本は、バブル経済絶頂期でした。1950年代から続く、高度経済成長期では、世の中は大量生産、大量消費に明け暮れていた時代でしたが、経済成長という目的を果たしたところで、その反省から、本当に欲しいものを作ろう、という思いや価値観に共感した人たちがムーブメントを起こし、クラフト・生活工芸が生まれました。それが「クラフトフェアまつもと」の発足の起源です。
1992年(40歳)、小田原の菜の花で木の器による初個展を開催します。
40歳のデビューは決して早くはありませんが、それまで家具中心だった木工に、1本のスプーンから始まり、木の器という新たな生活道具の分野を確立しました。
そして、43歳の頃には、木の器に漆を施すシリーズを制作し始めます。
漆とは、ウルシの木の幹から採れる樹液をベースにした天然の塗料で、古くから家具や食器、建物や仏像、芸術品まで幅広く用いられてきました。漆を何層も塗り重ねるという大変な手間を要しますが、水分や熱に強く、長持ちし、使うごとに艶が増すという経年変化も楽しめます。
この漆のシリーズでは赤と黒の伝統色に「白漆」を加え、現代の暮らしに合う漆器の世界を作りました。
また、それ以外に、生活という目線の中から生まれる、絵画やオブジェなども制作されています。絵画は、40歳のころから描きはじめており、昔から絵にあこがれを感じていたそうです。
今回初めてfactory zoomer / galleryで「絵と器」を展示させていただくことになりました。どんな展覧会になるのかとても楽しみですね。
次回は、「絵と器」にフォーカスしていきたいと思います。
(文責:柳田歳子)