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対談:lifeを探して⑭山本亮平「昔と今結ぶ『写し』、独自の白磁へ」

2026.01.10 interview

対談「lifeを探して」の14回目の相手は、全国有数の焼きもの産地として知られる佐賀県有田町に土窯を構え、妻の平倉ゆきさんと白磁の制作を続ける陶芸家の山本亮平さん。山本さんの作った茶道具を愛用する辻和美が、窯焚きのタイミングに合わせて仕事の現場を訪ねました。
(対談は2025年10月末に行った。構成・写真 鈴木弘)


辻:まず、山本さんのこだわりについて聞かせてください。多摩美で油絵を勉強してから、どうして陶芸なんですか? 転身の理由を知りたくて。
山本:自分は絵に向いてない、っていう自覚が大学1年の終わり頃からあって、2年の後半からは絵を描かなくなって、オブジェを作り始めて。3年からは立体もできるコースを選んでオブジェばっかり作ってました。
辻:平面からすぐ立体に移ったんですね。オブジェの素材は何だったの?
山本:今でも覚えてるのは線路の枕木。あの長くて重くて硬いやつを丸ノコとかで切り刻んで、それをまた埋め戻すみたいな。
辻:大学時代からもう、立体が始まっていたんですね。それで美大を卒業してからはどうしましたか? 純粋美術の場合、卒業してもすぐ作家になれるわけもなくて、大体みんな一回、路頭に迷うじゃないですか。
山本:迷いましたね。半年ぐらいバイトしながら何しようかなって考えてました。ちょうどその頃、自由が丘にあったワサラビっていうお店で黒田泰蔵さんの白磁を見たんです。そこで「ワーッ」となって、焼きものも面白いかも、と思いました。
辻:へー、どんな作品が並んでたんですか。
山本:花入とか普通のお碗とか。コーヒーカップもありました。それも今思えばお手頃な価格で。買っておけばよかった。それで黒田さんに弟子をとってないか聞きにいったんです。弟子の枠はいっぱいだったけど、ペンションみたいな所に一日泊めてもらって、手伝いみたいなことをさせてもらって。ろくろを間近に見たのは、実はその時が初めてでした。
辻:黒田さんがろくろ回すのを見たの?
山本:もう、すごく速かったです。サンドペーパーをかけながら。無釉のを作ってたんで、仕上げの手伝いというか体験をさせてもらいました。
辻:黒田さんが使ってたのは作品と同じ白い土ですか?
山本:真っ白です。なんであんなに白いんだろうというぐらい白い。ニュージーランドだったかな、多分。陶石じゃなかったかも。それでなんか焼きものに興味を持ったんです。近場の焼きもの産地、関東だったら笠間あたりが近いから、笠間に行って仕事ないかなと思いながらリュックを背負って街をブラブラしてたら声を掛けてくれる人がいたんです。
辻:なんと、そんなことってあるんですか?
山本:そこは山の上の一軒家で、手びねりで作ってる工房でした。「ここでよかったらやってみる?」って聞かれて、その時はとりあえず働かなきゃと思ってたから「じゃ、やります」って引っ越して、そのまま笠間に1年半です。でも半年ぐらいで正直もうダメだな、ここ違うなと。なんとなく1年半いたんだけど、ちゃんと技術を身に付けたくて勉強先を探してたら有田に窯業大学校があるのを知ったんです。
辻:またすごく遠い所に。
山本:磁器発祥の地だし。もともと白磁がしたかったから。あと弟子っていうのが自分には向いてないのが分かったし。本当に向いてない、使うのも使われるのもダメなんですよ。
辻:それでもう一度陶芸の学校に行くんですね。
山本:この学校が面白くて、1年間蓋付きの飯碗しか作らせてもらえない。
辻:作家養成ではなくて、職人仕事を教える学校なんですね。
山本:絵付けコースに半年、その後、ろくろを1年勉強しました。年が上だし美大出てて職業経験もあるからちょっとは自信があったんだけど、そこで自分が線1本すら満足に引けないことに気付かされるんです。それからは呉須で線を引く練習をひたすらしました。卒業後、有田焼の草山窯(そうざんがま)っていう所で、今はもうないんですけど、そこで下絵の絵付け工をしました。
辻:有田の焼きものは完全に分業ですか?
山本:分業です。草山窯は生地もほぼ外注でした。
辻:石川で言うと輪島塗みたいな感じですね、分業の仕組みが。
山本:3年ぐらいいましたが、給料がとにかく安いんですよ、佐賀県の最低賃金の更に下なんです、職人は。ひたすら残業しても月に11万とか。でも、どっちみち作家として独立するつもりでこっちに来た時点で工房付きの家を共同で借りて、学校行ってバイト行って自分のものを作るって感じでやってましたから。


辻:なるほどー。すごい働いてましたね。それで、いよいよ独立するわけだ。
山本:まあ3年たったから再始動と思って。でも独立したい気持ちはあるけど、どうしたらいいか分からない。そんな頃です。また東京に帰った時、ワサラビに行ったら、今度は三谷龍二さんがいたんです。こんな木工の人がいるんだ、って驚きました。黒田さんと三谷さんの2人は自分の中ではすごい重要な人物。それまでの表現を更地にしてくれたぐらいの。
辻:ここで、三谷さんと出会うんですね。キーパーソン登場。
山本:はい、その後、三谷さんが福岡で個展するっていうから見に行って「独立しようと思ってる」って相談したら、松本クラフトを教えてくれて。じゃあ出してみようと。
辻:松本クラフトでは何を出品しましたか?
山本:ろくろをひいて、石膏型に押し当てると輪花の形になるみたいな型打ちです。
辻:時代はどんなでした。クラフト全盛期?
山本:松本クラフトの雰囲気ですか。今でも頑張ってる人多いですよ。陶芸は市川(孝)さんとか出してました。市川さんのことは料理家の渡辺有子さんの本か何かで知ってたんです。そしたらその渡辺さんが、スタイリストの伊藤まさこさんと2人で来て、わーっと買ってくれて。
辻:あー、なるほど。
山本:それで次の月の「天然生活」だったかな、うちの器に料理が盛られてるのが載ってて、衝撃でした。
辻:(笑)あの頃の雑誌は勢いありましたね。雑誌が生活工芸のブームをつくったようなもんだから。
山本:自分がそういうきらびやかな世界に接続するとは思ってなかったから、びっくりしましたね。渡辺さんは工房にも雑誌の取材で来てくれました。
辻:面白いね。そうやって繋がっていくんだね。やっぱり嬉しいよね。ちゃんと見ててもらえると。
山本: 嬉しいですよ。そういうふうなところで取り上げてもらえると。
辻:じゃあ、そこからブレイクが始まるんだ。(笑)
山本:ブレイクではないんですけど、その頃からほぼ取引先がダダッと決まって、個展も決まってくるみたいな。
辻:作るものは型打ち?
山本:有田は初期から型打ちしてるんですよ。そういう土地のつながりもあったし。
辻:粘土も土地のもの?
山本:白磁の粘土を買って電気窯で焼いてました。
辻:最初は電気窯なんだ。
山本:100%取ろうと思ったんですよ。電気窯だと10個焼いたら10個取れるし、納品に間に合うし、そこそこ売れるし。
辻:でも、その後、体を壊しちゃったんですよね。確か。
山本:そうなんですよ。型打ちに嫌気がさして。自分にとって必要な形は出揃ってるのに、新作といえば何か作らなきゃみたいな。それで次に何を作ろうか考えてたら急に耳鳴りがしちゃって。
辻:そうか、耳鳴りから始まったんですね。
山本:それで型打ち時代が終わる感じです。型打ちは楽しかったし、自分に合ってたんですよ、最初は。ろくろをひくと自分が直で出るけど、型打ちするとワンクッション入る感じがあって。今でも技法としては好きなんですけどね。
辻:その型打ちは古いものの写しが多かった?
山本:写しが多いです。
辻:理由は。
山本:出だしは昔のいい形のものを自分も作りたいなと思って。それが形そのものはまだ我慢できるんだけど、絵付けの写しをしたら、2年目か3年目ぐらいかな、猛烈な違和感を感じたんです。何か違うぞ、と。
辻:今の時代、写しをやってる人多いと思うけど。大きな造形、現代彫刻的な陶芸への反発から生活を見直す感じで生活工芸が誕生して。その後に来たのが写しの時代っていう気がする。
山本:そうかもしれない。
辻:山本さんは写し、ど真ん中の世代じゃないですか?
山本:特に有田の場合、歴史的に写しの文脈みたいなのもあって、中国の写しとか。写しが繰り返されてきた中で、今何をすべきかを考えていて。型打ちでも透明釉じゃなくて白釉、デルフトみたいに錫の入った釉薬を使って、味気があるというよりは、もうちょっとフワッと軽いみたいなのが今風かなと思って。
辻:作家はオリジナリティーが大事だと思ってるから、なぜ自分が写しをやるんだろうって部分で戸惑いがありますよね。
山本:あります。すごいある。常にある。菅原道真を論じた「うつしの美学」(岩波文庫)っていう本を読んだんですけど、辞書で「写し」って引くと、見たまま写すことの他に、移動っていう意味もあるんですね。
辻:え、面白い。
山本:面白いんです。とても腑に落ちたところがあって。
辻:ただ真似るじゃないんだ。
山本:そう、だから表面だけっていうのはどうなんだろうと。その本を読んだのは割と最近なんですけど、この窯を造ったのもそもそも表面じゃなくて状況から写さないとダメだみたいな気持ちがありました。なので窯を写すことからやろうと、昔のものをすごく調べました。工芸と写しってとても重要なテーマだと思いますね。形ってね、そんなに変わりようがないんですよ。完成された形ばっかりだから、そこから無理に写しじゃなくすると変なユニークさが出ちゃう。だからこのあいだ金沢の中国茶の会で辻さんの道具を見て本当にすごいと思ったんですよ。
辻:えー、いきなり、私の道具? そうですね。私もここ数年、中国茶の道具を作っているんだけど、これまで見たことのないものを1点でも2点でも作れたらなと思ってて、あの作品(pouring)は、なんか上手くできたかな。個体差はあるけど。(笑)あと、写しだけど、昔のものは、一度評価されている形だからね。良いに決まっているよね。私はそれをガラスに替えて写したりしてる。素材違いの写し。
山本:それは移動の方の写しですね。時代も素材も移動して。
辻:「写し」の話は工芸において永遠のテーマです。山本さんともっとしたい話なんですが、今に至るまでの話も聞きたいです。


山本:そう、身体を壊して、1週間ぐらい入院して。でも結局回復しなくて片方の耳は今でもほぼ聞こえないんです。それで自分で釉薬も作るんですけど、それまで買った原料がどこから来てるか分からない。とりあえずそれを全部一から自分で把握したい、ってところからまた始まるんです。一からやり直そうと。
辻:すごいリセットですね。
山本:もう体が拒否してましたから。
辻:ものづくりって理想と現実をいかにやりくりするかですよね。経済的なことも含めて。
山本:だから急には無理だから徐々にです。もう一回磁器の始まりについて知りたいと思って今度は唐津に行くんです。磁器の始まりは唐津だから。
辻:原点回帰ですね。それでどこかの作家の所に勉強に行きましたか?
山本:梶原靖元(かじはらやすもと)さんの所に行きました。僕の新たなキーパーソンです。物を見たらもうすごい、素晴らしいんですよ。地味なんだけど、昔の焼きものの良さみたいなのがそのまま出てて、主に素材なんですけど。今の唐津と全然違って、土窯で。
辻:また弟子になりたいと思った? 弟子は嫌いだったはずだけど。
山本:(笑)通い弟子みたいな形で、週1ぐらいで手伝いに来ていいですかって。地道な作業を当たり前に積み重ねていく感じに接して、自分でも石を採ってきて土にしたり。まだ自分の窯を持ってなかったから、唐津にいる矢野直人(やのなおと)っていう友人の窯まで行って焼かせてもらって。それが5年ぐらい続いたかな。
辻:それでいよいよ2020年に自分たちの窯を作るんですね。
山本:ずっと土地は探してました。
辻:薪窯ができて、作るものに変化はあった?
山本:最初はそれこそ唐津とか初期伊万里のような言葉通りの写しみたいな作品。それまで白磁の型打ちで、ちょっとフワッとした感じだったのが、ぐい呑みを片手に語っちゃうみたいな方向に転換しました。(笑)


辻:急に渋くなったんだ。「天然生活」から「芸術新潮」に。
山本:そうそう(笑)切り替わる途中はお客さんにもちょっと申し訳なかったですね。実際、お客さんの層が変わりました。で、そうしているうちにまた違和感を感じ始めて。
辻:え、また違和感? 今度はどこに向かうの。
山本:どこに行こうか考えてた時に、台湾の謝小曼(シェシャウマン)さんに出会ったんですよ。
辻:そこから台湾、中国と繋がっていくんですね。
山本:生活器物展に誘われて。あれがすごいターニングポイントになりました。
辻:私が初めて山本さんに会ったのもあの展覧会でした。コロナの前かな? 山本さんの他に、木工の矢野(義憲)さん、金属の秋野(ちひろ)さんとか、私の知らない若い世代の作家さんたちを三谷さんが連れてきてくれたんでした。そして、そこから中国茶なんですね。
山本:お茶との出会いは大きかったですね。
辻:今の制作は茶道具の割合が多いですか?
山本:そうですね。お茶は自分でもよく飲むし。お酒はあんまり強くないから酒器は眺めて楽しむぐらいだったけど。お茶の場合は道具として使えるし、組み合わせの世界観もあって楽しいし。
辻:分かります。私も同じです。お酒が強くなくてやっと自分自身が楽しめるものに出会えましたよね。
山本:あの展示会はすごい大きかったですね。それまで煎茶とか抹茶とかもちょっとずつしてたんですけど、そのまんまでは馴染める世界じゃなかった。中国茶を踏まえると、そのうちまたできるかもしれないけど。
辻:茶道具を作る上で難しかったことは?
山本:まず道具感が強いので技術的にクリアしないといけないことが色々あって。初期の急須とかね。やりながら改善していくしかないので。今でもベストじゃないけど。


辻:中国や台湾での人気についてはどう考えます? 山本さんの作品はすぐ売れちゃうと思うけど。
山本:器って、その当時の世界状況がよく表れると思うんです。伊万里を見てると、(輸出相手の)国力であからさまに様式が変わってくるから。職人の趣味嗜好じゃなくて、もっと大きな枠組みで。後の世の人が今の時代を振り返ったら多分、中国が力を付けてるなっていうのが器から分かるんじゃないかな。
辻:そうか。経済のいい所に作品は流れていくよね。
山本:三谷さんの言葉を借りると、「世の中に応答する」ってことですよね。生活工芸が歴史に残るのは応答してるから。すごいのは自分たちでお店を作って、それまでなかった状況をつくったこと。状況づくりをしてる人は本当に尊敬します。だから辻さんのズーマとか、三谷さんの10㎝とか、安藤(雅信)さんの百草とかは本当にすごいことだと思ってます。
辻:そんな、そんな、何言ってるんですか。必要だったんですよ。そう言ってくれるのは嬉しいけど。(笑)そして、そして、山本さんが、これからやりたいことは?
山本:「写し」に関して、特に移動という考え方。ずっと移動しながらきた時に今何ができるんだろうって考えていて、具体的に何をしようとかはまだないんだけど、試行錯誤してます。
辻:写しはねー、大テーマだと思う。
山本:一大問題です。単なる写しでなく、奇抜でもないって、至難の業ですよ。オーソドックスでオリジナルって本当に難しい。それを辻さんはやっててすごいと思います。
辻:いやいや、すごくないよ。どっか隙間を探してるだけで。ちょっと突飛にしてみる、ちょっと変とか、不細工って感じ? 綺麗に収めないようにはしてるかな。
山本:あー、なるほど。確かに出だしから、ちゃんとしようと思ったら動かないですもんね。いいこと聞いた。
辻:じゃあ最後にライフという言葉について何を思い浮かべますか。
山本:うーん、家でちゃんとした生活してないからなあ。根性が足りてない。なんかフワフワ夢想するのが好きだから。ちょっとカッコつけて言うと「ロマン」? この窯を造るときも最初はもっと短かったんですよ。でもちょっとロマンが足りないなと思って、最後に2、3メートル伸ばしたんですよ、ロマン分。
辻:じゃあ山本さんのライフはロマンだ。決定。



<略歴>
山本亮平(やまもと・りょうへい) 1972年、東京生まれ。多摩美術大学絵画科卒業。佐賀県立有田窯業大学校短期終了。2006年、有田町に工房を設立。2020年から自宅近くに築いた土窯「小物成窯」で、陶芸家で妻の平倉ゆきと共に暮らしの器や中国茶の道具などを制作する。


<編集後記>
傾斜地に築かれた登り窯は、伐採した木を芯材に、掘り出した粘土質の土を躯体に活用。約10時間で焼き上がるから薪は少なくて済む。シンプルだけどシャープ過ぎず、日々の暮らしによく馴染む磁器たちは、そんな合理的で自然体な在り方から生まれているようです。(鈴)




88th exhibition

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2026.01.23 fri. — 02.15 sun.
12:00 – 18:00

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