対談:lifeを探して⑬キムホノ「変わり続ける奇想の陶芸」
対談「lifeを探して」の13回目の相手は、自由で斬新な作品を作り続ける陶芸家のキムホノさん。12月からの展覧会ではどんな独創的な世界を見せてくれるのか。作戦会議も兼ねて辻和美が愛知県瀬戸市にあるキムさんの自宅兼工房「キノハウス」を訪ねました。
(対談は2025年9月中旬に行った。構成・鈴木弘、写真・沼田万州美)

辻:いきなりですけど、展覧会どんな感じになりそうですか。ズーマでは4年ぶり5回目の個展です。前回は緑釉の織部が中心でした。キムさんって機能がどこかにあるオブジェをよく作るじゃないですか。そういうタイプの作品、とても魅力的です。今回は手のひらの中のオブジェみたいなのはどうかな?って思っているんですけど…。たくさんあるといいな。100個とか。それも全部違うのがあったら楽しいんじゃない?(笑)
キ:全部違うのを100個? すごい大変なこと依頼しようとしているのは分かってる?
辻:えへへ。分かってないかもね。キムさんの作品で、リボン付いた箱みたいな形で、蓋物になってる作品ありましたよね。用途があるようでないようで、オブジェとしても見られて、置いたら場の空気を変えちゃうような。あれすごい好きでした。
キ:小さいのがいいの?
辻:そうね。ウチに持って帰れることは大事。見た人がキュンキュンして、選ぶのに困るみたいな。色は何色でもいいです。いつものような植物とか動物とか昆虫とか、いろんなものが付いてても面白いな。生きていることへの愛みたいなものがいつも作品から溢れてるから、あんな作品が人の暮らしのサイズで、たくさんあったら絶対いいだろうな。展覧会の時期はクリスマスにかかるしね。
キ:こうやって話してると、だんだん形が見えてくるね、不思議と。
辻:本当ですか?
キ:うん。なんか全く今までなかった形が出てきた。
辻:それは嬉しい。キムさんって、今、結構若いギャラリストがついてますよね。
キ:そう。若い人が興味持ってくれてるのが嬉しいね。僕、若い頃は60歳になったらもう仕事がないだろうなと思ってたんだよね。だって、20代から見た60歳っていったら、もうおじいさんなんだから。そんなおじいさんが作るものなんて、若い人が興味を持つはずないから展覧会の依頼もなく、なんか寂しく細々と生きていくんだろうなって思ってたんだよ。
辻:でも逆でしょ。50代、60代とどんどん忙しくなって。
キ:本当に若い時より忙しくなったから、それはなんか嬉しいよね。若い人が興味を持つっていうのは。人生捨てたもんじゃないなと思って。
辻:今、個展は年に何回ぐらいですか。
キ:年に5、6回ぐらいかな。
辻:じゃあ2ヶ月に1回のペースですね。多いな。
キ:そんな感じ。この間リストを作ったら、40年で295回だった、個展で。
辻:いつも新作を発表してますよね。それがすごいと思って。毎回違うテーマで、新しい作品がどうやって生まれてくるのか。
キ:それはね、ひょんなところから湧いてくるんだよね。不思議なんだけど。まあ常に頭はずっとぐるぐる回ってるんだよね。1つが終わると、次のことを。作ってる時っていうのは、最終的にはもうそれは終わってるんだよ。もう次を考えながら、体は動いているわけ。
辻:それは分かります。私も同じです。作り手だから。

キ:頭と体は別物だから。体っていうのは嘘をつけないから、やっぱりその時の自分が出てるんだよね。だけど頭は嘘つけるから、次のことを考えられるわけ。ある程度決まって、もう見えてきたら、次のことをずっと探るんだよ。それで探ってるから、こうやって話をしたりとか、何か目にしたりとか読んだりとかした時に、そのキーワードみたいなものがポンと入ってくるの。 その時の自分が多分気になってるものだと思うんだけど。その言葉がポンと入ってきてインプットされるから、形になっていくんだよね。
辻:日頃からずっとアンテナを立ててるんですね。
キ:うん、ずっとアンテナは出してる。もうそういう習慣になってる。何でも、モノを作ることに結びつけてるから、本当に何気ない言葉とか音楽とか、そういうのも全部パッと気になるものがインプットされると、そこからバーッと形が作られていく。
辻:そのキーワード、キービジュアルみたいなものは書き留めておくんですか。
キ:書き留めることもある。ものを作ってる人だから分かると思うんだけど、形ってその時の自分の気持ちが作るんだよ。その時の気持ちがなくなると、形って消えてくんだよね。だから、その自分の今の気持ちの形を書いておくの。
辻:その時の自分の気持ちが作るってよく分かります。
キ:それを見たときに、自分がどう思ってたかっていうのを思い出すわけ。その時は絶対忘れないと思ってるけど、違うところに意識がいくともう忘れてるわけだよね。全てにおいてその人のその時の感情っていうか、情緒が全部言葉だったり、形になってるって思うんだよね。だから、それを忘れそうだったら、スケッチを大雑把に描いて、それでまた進めていくんだけど。何かに立ち止まった時に、それを見ると、パッとまた浮かんでくるわけ。調子良く仕事が進んでるときには、そっちの方を優先するんだけど、立ち止まった時に見たりすると、その時に感じた感情が今の感情と結びついて、また新しい何かが生まれたりする。言葉でうまく説明できないけど、常にぐるぐる回っていて、何かに引っかかって、そこで立ち止まって、その自分は何に引っかかったんだろうって認識をして、それで見えてきたら、また動き出すっていう感じかな。 それがもうね、日常ずっと起きているわけ。 自分の頭の中で。
辻:そりゃ、頭も体も忙しいね。その書き留めているノートは保存してますか? 内容は秘密? 作品と一緒に展示したら面白いのにな。どんな思考から作品が生まれてくるのか知る手掛かりになるね。
キ:人に見せるもんじゃないよ。
辻:そう、じゃあ、いいけど。あとね、作品はギャラリーごとに違ったりするんですか。展覧会はどんなふうに組み立ててるんですか?
キ:僕なりにそこのギャリーのイメージをどっかで作ってるんだね。ここはこんな感じの雰囲気の所だとか、そこの匂いっていうか。それを感じて、それを前提にイメージしているから、場所によってやっぱり違うものが出てくるんだよね。
辻:そうじゃないかなと思ってました。でもそれって、すごいサービス精神じゃないですか。普通は作家の方が今の自分はこれだからこれでいきます!って感じよね。
キ:その方が楽なんだよね。もちろん自分の思いはあるけど場所のイメージが前提にあるから。それは空間だけじゃなくて、人にもあるんだね、ギャラリーの。まあ、だから勝手な僕の思いがあるわけよ。


辻:それで40年間のものづくりにおいて一貫した何か太い柱とか、テーマみたいなものはあるんですか? このへんだけは譲れないとか、ずっとこうしてきたとか。
キ:僕が若い頃から決めてたのは「同じもの、1回出した作品は出さない」っていうことかな。
辻:そこがすごい。
キ:だってもう違うテーマで作ってるから、もう違うんだよね。だから前と同じものは作れないっていうか。気持ちがもうそっちにないから。
辻:普通なら1年くらいは同じものを作りますよ、作家って。
キ:僕は飽き性だったのかな。若い頃に比べると、極端にコロコロ変わるっていうことはなくなったと思ってるけど、やっぱり自分の中で常に新鮮でありたいっていうか、分かってるやつはワクワク感がないから、どっかで新しいことを取り入れることによってワクワクするわけ。窯出しするまでどうなってるか分からないっていう、それは取り入れるようにしてる。
辻: 自分自身が楽しめないとですね。それは作品に出てきますね。
キ:そう、自分が楽しめないと、ものもつまらないんじゃないかなと思うわけ。賭けみたいな感じで、どうなるか分からない不安もいっぱいなんだけど。いい時にはいいし、もうガクッとくる時もあるけど、それはしょうがないね。人生、賭けをしてるようなもんだね。
辻:今回もやばいですね。(笑)あとね、作っていて手応えとか成功したなって感じるのはどんな時?
キ:いい仕事だったなっていうのは後からじわじわ感じるのかな。展覧会の時はもう必死だから、そんな傍観するような余裕はないっていうか。すぐに「今回は成功だ」って思うことはあんまりないかもしれない。
辻:そうやって新作を出し続けるキムさんの原動力って何ですか。
キ:僕を支えてくれる人たちがいるっていうことかな。それがやっぱり一番の原動力になるし、「ああ生きてていいんだ」と思えるわけ。その人たちのおかげで、なんとか続けてられるんじゃないかな。
辻:ジャンボリー(キム工房で開かれた蔵出しの大規模な展示即売会)があったのは5年前ですか。私たちもお邪魔させていただきましたけど、あれは面白い企画でしたね。
キ:あの時の集合写真を見るたびに、色んなお店をやってる人たちがこんなに集まることなんて今後ないだろうなと思います。
辻:何年分の作品展でしたっけ?
キ:20代からの作品展だから35年分。
辻:展覧会から戻ってきた作品をずーっと段ボールに詰めたまま、ほっといたんですよね。それを開けてみようって言い出したのは沖縄のギャラリーさんですか。
キ:とにかくそれを見たいって。だけど自分たちだけじゃ勿体ないからってみんなに声を掛けてくれて。準備で合宿したんだけど、僕はご飯作ることしかしなかった。だって、見始めると入り込んじゃうじゃない。必要か必要じゃないかの選別ができないから仕事にならないんだよね。
辻:作り手は全てとっておきたくなるよね。それは、本当に、準備に時間がかかったでしょう。
キ:7、8人の応援団が泊まり込みで何度か来てくれた。一つ一つ段ボールから出して洗って整理して。始めてから4年ぐらいかかった。いや、本当にね、助かった。少なくなったけど、まだたくさんあるよ。(笑)
辻:当日は早いもん勝ち方式でした。私たちは工房のあちこちにある作品を漁るようにして選びました。最後にみんなが買い終わったら、キムさんからサプライズがあったんですよね。「買った金額と同じ分の作品を差し上げます」って。あれは最高だった。


辻:それで話が遡るんですけど、そもそもキムさんはどうして陶芸家になったんですか? どんな経緯で陶芸の道に進んだんですか。
キ:僕はまず、ろくろに興味を持ったの。子供の頃、たまたまテレビで、ろくろをひいてる人の映像があったんだよね。もともと作ることとか描くことが好きだったから、土の塊からいろんな形を作ってるのを見て、すごく惹かれたの。でも、ろくろっていう道具は身近にはなかった。それで、高校を卒業して、絵が好きだったから、仕事と結びつけるにはデザインだと思ったんだよね。デザイン学校行って、デザイン事務所に勤めてデザインやればいいって。それがたまたま職業訓練校っていう所が、ろくろを教えてくれるっていうのを聞いて、その職業訓練校にも行こうと思って。それで一応試験があって、受かったから、昼間は焼きものの学校行って、夜間にデザイン学校に行くっていう。それで1年行って、卒業制作の参考にしようと桃山時代の本を見てたときに織部焼と出逢い、すごく惹かれるものがあったの。何百年も前に作られたものが、今の僕が見てもすごく新鮮に感じるっていうのは何なんだろうって。その瞬間、もうデザインやめて、焼きものやろうって決めた。それでデザイン学校行かなくなって。だからその作品集で織部を見なかったら焼きものはやってなかったな。
辻:すごいパッションですね。それから陶芸の修業を始めたんですか。
キ:それで、先生に就職先を探してほしいって言って、陶器の町工場に勤めるようになって。最初は家内工業的な小さな所で下働きして、空いた時間に絵付けをさせてもらったりした。そこは2年勤めたかな。ちょうどその頃、別の工場でろくろをやってた友達が辞めるからと誘ってくれて移ることになった。そこで初めて仕事でろくろをひくようになってだんだん上達していったんだけど、ずっとやってるうちに自分がすごい機械化されてるんじゃないかって思うようになって。
辻:そこには、何年いたの?
キ:3年かな。自分がデザインしたやつでも、注文受けてずっとそればかりやってると、なんか自分が機械になったような感じがするわけ。それですごい疑問を感じて、自分が作るってなんだろうって、すごい思ったんだよね。それでモヤモヤしてたときに、会社も解散するって話になって。次の仕事をどうしようって考えてたら、取引先の問屋さんが「お前1人が生きていける分の注文くらいは取ってくるから、独立しろって」言ってくれて。それで独立。24歳の時かな。
辻:その頃はどんな作品を?
キ:京都の高級料亭が使う器とか写しみたいなものとか色々。あと「こんな感じで作って」って言われたのを作ったり。
辻:その職人仕事だけでも生きていけただろうけど、やっぱり、もう片方のキムホノとしての作品がムクムクと生まれてくるんですね。


キ:自分の表現というものをずっと考えてたから。考えながら、モヤモヤモヤモヤしてて。それで、注文仕事を3年ぐらいやったけど、これはもうできないと思ったの。もう無理だって。それで頼んで、1年かけて注文を減らしてもらって。で、収入が途絶えて。どうしようって。とりあえず公募展に出そうと。その頃は公募展が唯一の発表の場だった。20代のうちはあらゆる公募展に出した。入選したら展示してもらえるから。日本伝統工芸展にも入ったよ。
辻:公募展も出品したんですね。そのころ、公募展たくさんありましたよね。
キ: 東海伝統工芸展というのがあって、知り合いに出さないかって言われて出したら、たまたま入ったんだよね。田村耕一っていう人が審査委員長で、その人がすごい気に入ってくれて、本展にも出しなさいって言われて。で、本展に出したら、入って。
キ:伝統工芸展は岐阜の高島屋に巡回してたんだよね。そこの美術部の人が、僕に目をつけて、田村さんにどう思うか聞いたら「彼は、いいからやりなさいって」言ってくれたらしくて。それで高島屋で展覧会を開くことになったの。岐阜のお店の人が、日本橋の人にも話をしてくれて。
辻:そうなんですね。不思議だったんですよ。キムさんがどうして高島屋なのか。当時はどんな作品を作ってたんですか?
キ:1994年が最初の日本橋。粘土1トンを使ってめちゃくちゃ分厚い「重た皿」ってのを作った。50箱だったかな。その高島屋の人はね、すごい人だったんだよね。デパートって作り手に売り上げの半分ぐらいは保証しろみたいなことを言ってたらしいんだけど、高島屋の人が来たときに「売るのは僕の仕事じゃないから売り上げを求めるならやりたくない」って言ったら、あなたの言う通りです、売るのは私たちがやるからいい作品を作ってくださいって。

辻:陶芸家で友達とか意識してる作家とかいました?
キ:鯉江良二さんかな。僕は知らなかったんだけど、職業訓練校の同期が僕の仕事場に遊びに来た時、僕が作ったのを見て「コイエリョウジっていう人がこういうの作ってるよ」って教えてくれたんだよね。どういう人なんだろうと気になって、名前をインプットしておいたら、ある日新聞記事に載ってて、それで個展を見に行ったの。それで「僕がやろうとしてることを先にやってて悔しい」って話をしたら、すごく喜んでくれて。「俺は気にしないからどんどんやればいい」って。その時見た織部がすごく良くて安かった。だけど4000円がなくて買えなくて、1000円のぐい呑みを買った記憶がある。鯉江さんの仕事は凄い気になったね。
辻:同じ時代に生きていると気になるものが同じで、そういう偶然って起きますよね。分かります。そして、それからは、ずっと個展をひたすら?
キ:ひたすらっていうほど多くないけどね、まだ。最初のうちは年に1回か2回。1991年、92年ごろから増えていった。
辻:今が66歳でしょ。今後の制作についてはどんなふうに考えてますか。死ぬまで続ける?
キ:まあ、作れる限り作っていきたいなと思う。
辻:時代とか社会と制作との関係はどうですか。対談の前に「今年は戦後80年」「80年たっても‥」って話がありましたけど。
キ:なんかますます豊かじゃなくなってる感じがするけどね。どんどんどんどん貧困になってるんじゃないかなと。金銭的なことだけじゃなくて、あらゆるものが。だから僕のものを求める人が増えてるんじゃないかな。特に若い人たちに。やっぱりものを作るっていうのは、そういうことじゃないのかなって。
辻:どういうことですか、分かりやすく言うと。
キ:いや、だから、そういう時、何か満たされない時に、作品と出会うことによって救われるっていうか、満たされていくっていうか。そのために作ってるんじゃないかって思うわけ。だから、表現する人たちは、やっぱり貧困になっちゃいけないわけだよ、心がね。自分が求めてるものを探っていくっていうか、探検をしていくことが大事じゃないかなと思う。自分が何を良しとしてるのかっていう。それがないと、やっぱり表現できてないんじゃないかな、と。そのクエスチョンが必要だと思う。疑問を持つこと。問いかけがアートだから。
辻:既成概念にとらわれないってことですね。最後に金沢のギャラリーの名前に付けた「ライフ」という言葉について、どんなことが思い浮かびますか。ライフには生活だったり、日常だったり、命だったり、大切なものだったり、たくさんの意味がありますけど。キムさんにとってのライフは?
キ:これまでも喋ってきたけど、生活のスタイルに憧れるんじゃなくて、自分が何を求めているかを生活する中で気付いていくことが大事なんじゃないかと思う。スタイルだけ真似るんじゃなくて、探し求めた結果、あるスタイルになるってことが、特にものを作っている人には大切で、その人らしさになっていくんじゃないのかな。
辻:キムさんの話は深い!いつも刺激や学びがあります。今日は、貴重なお時間本当にありがとうございました。展覧会作品と、あとキムカフェもすごく楽しみにしてます。キムさんは、コーヒーも深煎りね!

<略歴>
キムホノ(金憲鎬、キム・ホノ) 1958年11月、愛知県瀬戸市生まれ。愛知県立窯業高等技術訓練校を卒業後、地元の製陶所などを経て独立。26歳で瀬戸市にアトリエを開く。個展を中心に精力的に新作を発表し、土俗的で力強い作品で知られる。第3回パラミタ陶芸大賞展ノミネート。「陶磁器の島AMAKUSA陶芸展」審査員。著書に「大坊珈琲の時間」、作品集「夢見るように作りたい。キムホノの仕事 1986-2021」など。
<編集後記>
小さい頃から「何かあった時この人は自分を匿ってくれるかどうか考えていた」と話すキムさん。頭の中には関東大震災の朝鮮人虐殺がありました。あれから100年余がたった今も排外主義的な動きが世界で広がる中、見る者に疑問と思考を促すとともに強張った心を解きほぐすような作品の存在が光ります。(鈴)
87th exhibition
kim hono
2025.12.05 fri. — 2026.01.18 sun.
●12/5(fri.) 6(sat.) / 13:00-16:00 キムホノさんによる「キムカフェ」
