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対談:lifeを探して⑰クー・ボンチャン「見えないものを見る、聞こえない声を聞く」

対談「lifeを探して」の17回目の相手は、韓国の現代写真の先駆者で「白磁」や「仮面」「石鹸」などの連作で知られる具本昌(クー・ボンチャン)さん。ファクトリーズーマ/ライフでは初となる個展を前に、クーさんの美意識に共感を抱く辻和美が、これまでの歩みや制作に込めた想いなどを聞きました。
(対談は2025年12月、東京都内で行った。構成 鈴木弘、通訳 キム・ヘイン)


辻:クー・ボンチャン先生のことを知ったのは日本のグラフィックデザイナーの山口信博さんが装丁した「くらしの宝石」(2007年、ラトルズ)という本からです。それは使い古された石鹸ばかりを集めた美しい本でした。山口さんは昔からの知り合いで、山口デザイン事務所には長年ファクトリーズーマの印刷物やポスターなどでお世話になっています。そんな経緯で今回は展覧会をお願いすることになりました。クー先生に実際にお会いしてみると静謐(せいひつ)な作品と穏やかなお人柄がすごく重なっているような印象を受けました。ズーマのギャラリーは生活をテーマにしているので、生活の一部を切り取る写真という媒体とは相性がいいと思っています。今日はよろしくお願いします。
クー:私は金沢ではこれまで紹介されたことがないので、こうした機会は嬉しいです。
辻:日本の皆さんにクー先生のことを知ってもらうために、基本的なことから教えてください。まず大学で経営学を学んだ先生がどうして写真家の道を選んだのでしょうか。いつごろからプロとして仕事を始めましたか。
クー:話は少し長くなります。私は子どもの頃から絵を描くことや何か物を作ることが好きでした。しかし韓国では美術大学に行くとお金を稼ぐことが難しいのです。私の親も反対しました。それで当時は残念ながら経営学を学ぶことにしました。ですが大学に進んでからも絵画クラブに入って絵は描き続けました。名画集を買ってモネとかクリムトなど真似て描いたりしていました。


辻:韓国の大学を卒業してすぐドイツに留学したんですか。
クー:大学を卒業した後、韓国で貿易会社に就職しました。でも朝から晩まで働く生活が続くと思うとなんだか怖くなりました。これは自分が願った人生じゃない、どこかに逃げ出したい、って思いました。本当はアメリカに行きたかったんですけど、すでに兄がアメリカに留学していて、うちにはもう教育資金がないって言われて、それであまり学費がかからないドイツに行くことにしたんです。
辻:ドイツは現代美術が盛んですよね。ボイスにリヒター、キーファーもいます。
クー:韓国では第2外国語でドイツ語を選んで言葉は学んでいましたし、当時、姉がドイツに住んでいました。
辻:それでハンブルクの美術大学に進んだんですね。
クー:すぐ美術大学に入ったのではなくて、いったん仕事に就きました。美術で自分がどれくらいできるのか、ちょっと自信がなかったんです。それで小さな貿易会社で働きながらドイツの人々の暮らしぶりを観察することにしました。街中の印刷物とかポスターといった視覚的なコンテンツに刺激を受けながら、こんなことができたらなあと思っていました。
辻:グラフィックではなく写真を選んだ理由は何ですか。
クー:漠然とビジュアルコンテンツをやりたいと思って美術大学に進学したんですが、入ってみるといろんな科目があって、絵を描くことも写真を撮ることも学びました。親友から写真を教わって先生からも褒められたりして、だんだん写真に夢中になっていきました。
辻:では、それから、プロの写真家になったきっかけは?
クー:卒業する前に、尊敬していたアンドレ・ゲルプケ(現代ドイツを代表する写真家の1人)というデュッセルドルフ在住の写真家に電話してみたんです。「韓国に帰る前に自分の作品について批評してもらえないか」って。それでオッケーを貰えて作品を見てもらったら「あなたの写真はいいけど、ヨーロッパの学生が撮ったのか韓国人留学生が撮ったのか全く区別がつかない。韓国で生きたことを考えながら制作するべきじゃないか」って、自分のアイデンティティーを活かすように言われました。それが大きな刺激になって写真の内容がだいぶ変わりました。
辻:そのアドバイスが転機になったんですね。
クー:話はまだ続きますよ。当時はドイツと韓国に直行便は飛んでなくて、日本を経由して帰るんですが、せっかくだからとゲルプケさんの友人が東京のピーピーエス(企画会社)という会社を紹介してくれて、挨拶にいくとそこの社長さんが作品を気に入ってくれました。1985年3月のことです。それで日本に世界の写真家100人を呼んで開く展覧会に韓国代表として招かれることになりました。
辻:先見の明がありましたね。PPS!
クー:展覧会は「A Day in the Life of Japan」(日本の24時間)といって、日本各地の街を世界の100人の写真家がそれぞれ1日中撮影して、 その成果を展示して本にするという企画でした。私はつくばEXPOが開かれていたつくばを担当しました。選ばれた写真家たちのミーティングもあり、そこで、細江英公さん(三島由紀夫や土方巽ら特異な被写体を撮影した作品で知られる、文化功労者)桑原史成(写真展「不知火」と写真集「水俣事件」で土門拳賞を受賞)という報道写真家を知りました。彼は韓国も熱心に撮影しています。橋口譲ニも知り合いです。日本人だけではなく、アメリカやヨーロッパの写真家も参加していて、一気に全世界の写真家の友人が出来、広がっていきました。


辻:写真家として飛躍する大きなきっかけでしたね。そして、日本との縁も古くて深いとは知りませんでした。
クー:そうなんです。日本との関係はとても重要です。1987年に東京と大阪のギャラリーで個展を開いた時もピーピーエスが手伝ってくれました。日本でデビューできたのは細江さんのお陰です。もともと子どもの頃に住んでいた家は日本の建築スタイルでしたし、両親も日本語が話せました。日本の写真家と交流を深める中で、1998年に清里フォトアートミュージアムで開かれたオラクル会議にも参加して、世界中から集まった写真系のキュレーターに韓国の写真を紹介することができました。当時、韓国はまだキュレーターなどもいなく、自分が作家の他にキュレーターとしての役割も担うようになりました。
辻:作品集が日本で紹介されたのはどんな経緯からですか。
クー:2005年か2006年だったか、ラトルズの社長と会うようになりました。東京の銀座で白磁の写真の展覧会をした時、オープニングにデザイナーの山口さんが来てくれて紹介されました。写真を見た山口さんは「本を出したい」と言って韓国まで来てくれました。それで石鹸の写真も見て、「これもいい」「両方とも本を出しましょう」という話になりました。


辻:やっと分かりました。「白磁」も「くらしの宝石」(石鹸)も2007年9月の同じ日にラトルズから出ています。それで同時出版だったんですね。では、このあたりで、最近のお仕事について教えてください。制作スタッフは何人ぐらいいるんですか。
クー:スタジオに毎日来るのは2人で、週に2〜3回来るパートが2人、合わせて4人です。
辻:少数精鋭ですね。もっと大人数かと思っていました。カメラはどんなカメラを使っていますか、いろいろお持ちでしょうけど。
クー:種類は多いんですが、最近はフジの中判のデジタルカメラで撮ります。GFXかな。機械にあまり興味がないので機種がよく分かりません。
辻:ライカ(ドイツ)などは使わないんですか。
クー:ライカやキヤノンはフィルムのサイズがあまり大きくないんです。以前はマミヤを使っていましたが、もう生産していないので、今はフジかハッセルブラッド(スウェーデン発祥)を使っています。白磁は中判ではなく、4×5インチ(約10×13センチ)の大判で撮りました。今回の箱のシリーズも半分以上は大判です。
辻:アナログからデジタルに変わる時、何か葛藤はありませんでしたか。
クー:2000年代初頭にデジタルカメラが登場しました。最初はオリンパスのカメラでした。今後はこんなカメラが主流になるだろうと言われて、みんなオリンパスを使い始めました。便利さはすぐに分かりました。アナログカメラは撮影しても現像するまで正しく撮れているか、光の加減がどうかなど分かりません。それに対してデジタルはすぐに結果を見ることができ、作業が迅速に行えます。ただ出たばかりのデジタルカメラは容量が小さかったため、移行して最初の数年間に撮った写真は今では使えません。その時すぐ移行して、フィルムで撮ってなかったんですよ。
辻:わー、早いですね。先生の作品は雰囲気がアナログと合っているように感じました。アナログをすぐ手放してすぐデジタルへ移行したのが不思議なんですが。
クー:オリンパスから提供されたんですね。それで、試してみたら確かに、軽くて便利でした。でも自分は機械が大好きなわけではないし、新しいものにすぐに飛びつくような性格でもありません。でも、デジタルだろうが、アナログだろうが、大事なのは、どういう感情で結果をコントロールするかだと思います。デジタルでも、仕上げとかリタッチによって、昔からの自分のスタイルを維持することができます。
辻:よく分かりました。これまでの作品制作において一貫したテーマや大切にしていることは何ですか。
クー:作品全体を貫く大きなテーマは、時間が蓄積された対象に込められた物語です。たとえ小さなものであっても、人でも物でもそれぞれに残された話を探すことを制作のテーマにしています。それは時間の痕跡を探すことです。白磁なら朝鮮時代の歴史とか、その表面に残る歴史の痕跡とかです。石鹸もそうです。誰かが使ってきた何かの痕跡がそのまま残っている。空っぽの箱も多分あそこに昔は何かがあったはずなのに、今は空っぽになってるっていう。そういうことを探すことをテーマとしています。ちっぽけなものにもそれぞれの話がある、だから大事です、っていうメッセージを誰かに伝えることが私の役目です。人々に注目されていないものを自分のカメラで写して、そうしたものが現れるときに幸せを感じます。人間は常に派手さや美しさに注目します。だからこそあまり顧みられることのないものに光を当ててあげたいと思うのです。


辻:道端の石ころを拾い集めるような、小さな物語も尊重するその価値観はどこからきたんでしょう。
クー:子どもの頃、自分が好きだと思って何かを集めたりしましたが、他の人から「あんな要らないものをどうして拾ったりするの」って否定されることがありました。そういう自分の過去も関係しているかもしれません。それで、きれいと言われないものや素晴らしいと思われないものに愛情を持っているんですね。白磁であれ箱であれ石鹸でも、新しい命をちょっとあげたい、復活させたいという気持ちがあります。
辻:そうした感覚があるから、あんなに繊細で美しい作品が生まれるんですね。
クー:小さい物の中にも歴史性があります。例えば私は「DMZ」(非武装地帯)シリーズとして軍人の遺品を撮影しています。それは物なのですが個人の歴史が込められています。また仮面を撮ると当時の社会階層や生活状況が見えてきます。


辻:私は先生の作品を見ていて、人が注目しないもの、忘れられたものにも美しさがあるんだ、ってことを提示しているのかなとずっと考えていました。
クー:それは運動みたいに大げさなものではなくて、自分が愛情を持ってずっと見ていたものたちが写真を撮って展示されて本になっただけなんです。作品が媒体となって、同じような感情を持った人たちが見て幸せを感じたり、そういう人たちを見たりすると、私自身も幸せになります。直接話すことはなくても作品を通して何かの感情が行き来していると思います。
辻:写真を撮る時に大事にされていることが何か、すごくよく分かりました。
クー:ありがとう。
辻:金沢での個展は空の箱を撮ったシリーズということですが、タイトルは何にしますか。


クー:タイトルはまだ決めていませんが、作品は空っぽの箱です。仏教に「空手で来て、空手で行く」(空手来、空手去)という教えがありますよね。そんな言葉が使えないかなとも考えています。
辻:空手。何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく。人生の根源、執着しない姿勢、ってことですね。
クー:あの感覚で撮りました。
辻:意味を聞いて今回の作品がさらに、好きになりました。
クー:限られた空間なので、展示するのは選りすぐりの作品がいいと思いますが、そのあたりはギャラリストとしての辻さんが決めてください。
辻:重要だなー。(笑)では最後の質問です。ズーマの店名に付けた「ライフ」と言う言葉について。先生はライフと聞いて何を思い浮かべますか。
クー:私にとってのライフは絆です。人生は憂鬱とまでは言わないけれど、そんなにうまくいくものでもありません。頑張っても思ったようにできないこともあります。その中で我慢しながら、どう自分の道を進んでいくか。いろんな人と出会って、いろんな絆が続いて今があります。そうして多くの絆が積み重なって私の人生になったのだと思います。
辻:素晴らしい人生観ですね。いいお話をありがとうございました。次は金沢でお会いしましょう。お待ちしています。



<略歴>
具本昌(クー・ボンチャン) 1953年、ソウル生まれ。延世大学商学部経営学科卒業。ハンブルク国立造形美術大学写真デザイン専攻、修士号取得。世界各地で作品を発表。テグフォトビエンナーレのアートディレクター、慶一大学写真映像学部教授などを務める。大韓民国文化芸術賞、サムスン・ホアム賞など受賞。2024年〜25年、韓国の国立アジア文化殿堂で大規模な個展を開催。作品はサンフランシスコ近代美術館、ギメ東洋美術館、大英博物館などに収蔵。


<編集後記>
消えていくものに惹かれ、使いかけの石鹸に「時間の痕跡」を見出すと言うクーさん。ささやかな日常を扱った写真にしろ、国の歴史につながる写真にしろ、物語性の色濃い作品に、時代を刻むフォトジャーナリストとしての原点を感じます。(鈴)




91st exhibition

koo bohnchang

2026.04.24 fri. — 05.24 sun.

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