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94th exhibition ando masanobu
2026.09.11 fri.- 10.12 mon.
12:00→18:00
photo by suzuki shizuka
時代の空気を感じ、さらにその先をいくことが、その分野のトップランナーがやってきたことだ。使いたい食器が見つからなかった時代に、白い24cm程度のリム皿を、一番身近な妻の料理に合わせて作り出した安藤さん。それが、「生活工芸」の代表作になる。
その当時、日本の「工芸」といえば、伝統工芸、日展、もしくは、アメリカンクラフトから影響を受けた「KOUGEI」と自己表現寄りで、人の暮らしから離れたところにあった。その反動か、もう一度、生活をきちんと見つめ、個人に近いところから物を作っていく「生活工芸」が、世の中のニーズというポッカリ空いた隙間にハマった。安藤さんは、それをカウンターカルチャーと言い、いつも戦闘態勢だ。9年前の個展の時は、中国茶器をたくさん作って見せてくれた。「これ、これからもっとくるよ!」って。その通りになった。今回は、なんとオランダ皿を薪窯で焼くことに挑戦。新しい折衷が生まれるかもしれない。 店主:辻和美
●初日9月11日(金)・12日(土)は、イベントにご参加のお客様のみの入店に限らせていただきます。その他のお客様は、13日(日)12:00よりご来店ください。
◯イベントのお知らせ
交種茶会
日 時:9月11日(金) ①11時30分 (開場 11時) ※満席/ ②15時~ (開場 14時30分) ※満席
9月12日(土) ①11時30分 (開場 11時)
参加費:13,200円(税込)
席 主:安藤雅信
菓 子:長谷川あみ
飲み物4種類、菓子3種類
お申し込みはfactory zoomer /onlline shopよりチケットをご購入ください
◯関連イベントのお知らせ
工芸青花 講座
講座|工芸と私91|安藤雅信+石川嵩紘|「生活工芸は現代美術の植民地」か:安藤雅信展を機に
日時:9月12日(土) 16-18時(開場15時30分)
※こちらの講座についての詳細、お申し込みは工芸青花のwebサイトをご確認ください
対談「lifeを探して」⑳「カウンターカルチャーとしての焼物」
2026.08.24
interview
対談「lifeを探して」20回目の相手は、岐阜県多治見市の陶作家でギャルリ百草オーナーの安藤雅信さん。ともに生活工芸の器を手がけ、作品づくりでコラボすることもある辻和美が、安藤さんの多彩な創作の歩みとその核心に迫ったロングインタビューです。
(対談は2026年7月、factory zoomer /lifeで行った。構成・鈴木弘、写真・大田和弥、factory zoomer)
辻:安藤さんは食器づくりをメインに彫刻とかお茶とか幅広く制作してますよね。器の制作もすごい数のバリエーションがあって、本当にオールラウンダーだなぁといつも感じています。一体どんな風にして自分のスタイルを見つけていったんですか?
安:もともと小学校の頃から将来は音楽家とか美術家とか芸術畑に行きたいという思いがあって、音楽は好きだったけど当時は音楽と言えばクラシックしかなかったから美術かなって、高校2年から美大を目指したんです。多治見は焼物の町だから選択肢としては工芸もあったはずなんだけど、あの頃はファインアートが人気で美大なら誰もが油絵科を目指すみたいな時代でした。
辻:それで武蔵美(武蔵野美術大学)に入ったんですね。
安:最初は油絵を目指したけど、ちょっと違うなって気がして3年から彫刻に転向しました。当時の美大生は貸し画廊で個展して、公募展に出品して、どこかの企画画廊に拾ってもらうというのが通り道でしたね。僕は1浪して入ったけど同級生は3浪が中心で、彼らは技術も情報も持っててガンガンやるから、こっちは付いて行くのが精一杯で気後れしちゃって。卒業しても道筋が見えないまま1年だけ東京に残って、ジャズのバンドでドラムを叩きながら、絵画塾やったり、家庭教師やったりしてました。
辻:卒業制作の素材はFRP(繊維強化プラスチック)ですか?
安:そう、FRP。彫刻の学生はアルバイト先があんまりないんだけど、FRP屋さんには喜ばれて、そこで4年からバイトを始めて、仕事場で卒制を作って、大学行かないでずっと通ってました。
辻:美大生にありがちなパターンですね。
安:卒業した後もそこで1年働いて。でも音楽でやっていける才能がないことに気付いて、多治見の実家に帰って陶芸の研究所に入ったんです。
辻:それが一つの転機になった?
安:そのはずが、たまたま作ったオブジェが日本陶芸展の前衛部門で入選しちゃったんですよ。次の作品が美術手帖に載ったり、岐阜県美術館からも声が掛かるようになったり。
辻:それで自分は彫刻でやっていけるんじゃないか、って思ったんですか。
安:最初は民藝作家とか職人的な仕事にも憧れたけど、やっぱり彫刻に未練があって。これは現代美術の本場を見ないとダメだよなって、27歳の時にアメリカに行ったんです。知り合いの所に居候してニューヨークに2カ月ぐらい住んだかな。あとは西海岸で美術館巡り。
辻:それは何年の話ですか。
安:1985年。それで向こうでアメリカ人と会話すると、やっぱり禅とか神道とかお茶の話になるわけですよ。ちょうどニューヨークでブルースシンガーを目指してた同郷の知り合いから「浴衣着てブルース歌えって言われるんだけど、どう思う」って相談されて。これは結構、核心を突いてて、ネイティブな文化じゃないものに憧れてやっても結局ネイティブの人には勝てない、って言われてるわけでしょ。
辻:我々はアジア枠ですよね。
安:だから日本人としての何かを持ってないと世界で勝負できないな、って。現代美術も日本人はネイティブじゃないから。ニューヨーク近代美術館で日本コーナーに行ったら、並んでたのは北大路魯山人と民藝と根付だったの、その3つ。
辻:根付ね。私も見たかも。
安:日本の美術って工芸なの?って、すごいカルチャーショックだった。ここにいても仕方がないと、アメリカは3カ月で切り上げて。とにかく日本っていうものが体に染み込むまで何かやらなきゃいけないと思って、帰国してすぐお茶を習い始めて。お茶はいわば総合大学みたいなものだから、お茶を習えば色々学べるだろうと。お茶を熱心に習ううち、焼物に関心が出てきて。でもお茶は自分でお茶会をやらないと全容が掴めないでしょ。それには道具がいっぱい必要だけど、いちいち買ってたらお金がいくらあっても足りない、っていうんで作り始めたのが一つかな。あと、現代美術に行き詰まったんだ。アメリカから帰ってから色々やりながら銀座の村松画廊とか神田のときわ画廊とかで発表してた時代が30歳まであって。でもコンセプトありきが苦しくて作品が作れなくなったんだよね。
辻:その時代の作品は焼物でした?
安:最初はアルミニウムで、2回目から焼物。ハラアニュアルの候補になったり、岐阜県美術館の「土と炎」っていう企画展に出たり。1987年ごろまでは良かったけど、だんだん限界を感じて。ちょうどその頃「少年アート」っていう本が出たの。
辻:私も読みました。中村(信夫)さんが書いた本。
安:あれに衝撃を受けて。これはイギリスに行くしかない、って。あの本の中に経済とリンクしてるギャラリーは日本には5軒しかないって書かれてたでしょ。
辻:貸し画廊は悪の根源みたいに書いてありましたね。
安:その中の一軒に売り込みに行ったけど、相手にしてもらえなくてさ。でこれはイギリス留学するか、アートの題材を探しにインドのカオスを見にいくか、ってことになって。
辻:そこでどうしてインドなんですか。禅とのつながりですか?
安:あの頃はね、やっぱり本の影響が大きくて。横尾忠則のインド本読んだんだよ。仲の良い友達も2人インドに行ってたし。
辻:だからインドか。
安:横尾忠則が壁にぶち当たってから30歳ぐらいで行かないと意味がないみたいなことを書いてて。行ったはいいけど、ブッダガヤからデリーまで仏教聖地を巡るゴールデンルートを旅する途中で赤痢になっちゃって。高熱と下痢がひどくて、これは北の涼しい所で体を休めないとダメだと思って、ビートルズがヨガの修行をしたリシケシに行こうとしたら、フランス人から「あなたは仏教が好きだからダラムサラに行きなさい」って言われて。
辻:勧められて行き先がダラムサラに変わった? えー、簡単だねー。
安:事前にたまたまチベット医学の本は読んでいて、知らない地名だったけど、そう言うんならと思って。ダラムサラに着いたらそこに住んでいる日本人が声を掛けてくれて、日本食のパーティーに呼んでくれて。そこには当時、日本人が4人チベット仏教を勉強するために住んでいた。それで来た理由を聞かれたから「カオスを求めて」って答えたんだけど、話がうまく通じないんだ。
辻:カオスって言われても、ねえ。
安:「近代社会から漏れ落ちた混沌としたものです」って言ったら「そんなものはここにない」って、返されて。その中にすごく気になる人がいて一緒にいたら「カオスはお前の頭の中だ、お前が作り出したものだ」って。これは仏教でいう「空」のことを言ってるんだなと。それでここで少しチベット仏教を勉強した方がいいなと思ったわけ。
辻:あははははは、カオスはお前の頭の中だ!って最高だね。それで?
安:日本から英和と和英と仏教辞典を送ってもらって、ひたすら毎日読書。
辻:仏教の世界に入っちゃった。
安:それまでにも禅関係の本は読んでたけど、全然理解できなかった。チベット仏教の本はもちろん全部は無理だけど、すごく分かりやすかった。で、だんだん自分から何かが抜け落ちていく感じが分かるわけ。
辻:あーカオスが溶けていくー。
安:ビザが延長できる最長の半年間そこに滞在して、ひたすら仏教の生活を送ったの、自炊しながら。最初に言われたのは、朝起きたら瞑想しなさい、夜寝る前にも瞑想しなさい。朝の瞑想は、今日することを決めなさい、その動機を検証しなさい。夜は動機が正しかったか検証しなさい、1日あったことを検証しなさい。「善因善果」「悪因悪果」。悪い動機でやれば結果も悪いし、いい動機でやれば結果もいい。だから動機の検証が大切なんだと。それで自分が行き詰まってインドに行った原因はみんな自分の中にあったんだって気付いたわけ。有名になりたいとかね。そこからさらにネパールにも行って、結局8カ月いて帰ってきた。それで、日本に帰ったら、来た仕事は一切断らないと決めた。何でもやると。そうしたら焼物の注文が来るようになったの。陶器の壁画を作ってくれ、って話が来て、初めて窯を買って。器も作ってみようみたいな感じ。
辻:そこから器に繋がるんだ。
安:陶壁の仕事は下請けだったけど、一回やれば何百万かになるから、これで食べていけるなと思ったら、相手の会社が倒産しちゃって。それで実家に居候してまた塾の先生しながら制作してた。結婚することになって、妻に1年だけ現代美術を続けさせてくれって頼んで。
辻:やっぱり現代アートに戻るんだ。なかなか質問の答えに辿りつかないね。(笑)
安:実家に別宅があったから、そこに住んで1年やってみたけど結局10万円しか売れなかった。困ったなと思ってたタイミングに母が「番頭さんが辞めるけど、その後をやってみたらどう?」って。僕は大学で東京に出る時に家業は継がないって宣言してたし、親からそれまで後を継ぐように言われたこともなかったんだけどね。
辻:ご実家は陶磁器の卸問屋さんですよね。家業を継いだ経緯を初めて聞きました。
安:それが35歳になる直前、結婚して1年たった時で、絶対継ぎたくないと思ってたのをそこで受け入れたのね。で、料理屋さんから食器の注文をもらったり、どこかのお店の粗品の注文を受けたり。
辻:じゃあ扱ってたのは工業製品?
安:基本はそう。でも、その時に料理屋さんの和食器なら「俺でも作れるじゃん」って思ったの。
辻:そこから作り手としての歩みが始まったんだ。
安:まず懐石料理に使うような器は自分で作るようにした。工業製品の磁器ものなんかは別の窯から買ってきて。でもその経験がものすごく大きくて。工業製品の洋食器はデザインを一つ決めると、コーヒーカップからサイズ違いのお皿とかボウルとかスープ皿とか、50アイテムぐらい展開するわけ。しかもそれが定番としてずっとある。
辻:それが工業製品のアイテム展開ですよね。
安:5年後、10年後でも、補充したいお客さんの要望に応えられる。工業製品の考え方をそこで学んだね。それで器を作るようになって自分に課したのは、家業が 6時で終わって夕食の後、夜の8時から12時までは絶対毎日仕事するってこと。
辻:そうやって自分の仕事の時間をつくったんだ。
安:焼物の仕事をする。基本、注文をもらったものを作ってたけど、彫刻もあった。月に1回窯焼きしてた。
辻:作家としての制作ね。
安:写しが多かったから作家とは言えないかもしれない。だけど引き出物とかいろいろ注文をもらっても、百万円がなかなか超えられなくて。それで結婚して自分に起きる変化って、母の料理から妻の料理に変わることなんだよね。和食ベースじゃなくて現代風の料理になるじゃない。だから妻に合った器を作らないとダメだなと思って。
辻:奥様想いなロマンチックなスタートですね。
安:最初はノリタケの洋皿を手に入れたんだけど、これが使いづらくて。洋皿は最後に残ったスープがうまく飲めないし、結構重いし。かと言って和皿は料理に合わないし。工業製品は美味しく見えないし。なんか料理に合う器って意外とないもんだなって。当時はクラフト作家が結構いて、クラフト作家のものだったら合うんじゃないかと思ったけど、必ず何かちょっと手を加えてあるの。
辻:デコレーションがね。
安:そう、その装飾にちょっと違和感があって。だったら自分で作るか、って。1992年に結婚して、93年に家業を継いで、バブルは崩壊したけどまだ多少名残りがあった頃ね。男女雇用機会均等法が86年に施行されて、女性の社会進出が進んでたから、これからは料理はワンプレートの時代になるって直感してさ。
辻:ワンプレートがくる、って思ったんだ。
安:ご飯とかサラダとか肉とか魚とか、みんなワンプレートで食べる。お皿が一つなら洗う手間が減るし。その皿で和も洋も中も盛れたらいいじゃない。それでどんな皿だったらいいのか考えて、最初に思い付いたのが楕円だったの。楕円なら和洋中の既成概念から全部外れてるから。で、ちょっと深めでパスタも盛れて、カレーも食べられて、お肉も盛れるみたいな。「これだ」って、まず楕円のバリエーションをバーッと作り始めて。それでギャラリーに売り込みに行ったりした。でも最初はいいんだけど、伸び悩むんだ。「なんか一手間足りない」って言われて。それで、ミシン目入れたり、一筆染付を入れてみたり。
辻:デコレーションは嫌いじゃなかったっけ。
安:妻の明子に見せると、「一手間余分」って。じゃあどうしたらいいんだ、って。僕はタタラ(板状にした粘土から作る技法)の技術が好きだったから、石膏型にそった形しかできなくて、タタラで一手間入れるのは装飾しか思い付かなかった。
辻:ろくろじゃなくてタタラでやろうと思った理由は何ですか。
安:やっぱり石膏が技術的に慣れ親しんでたから。だから原型作るとか彫るとか、自分の学んできたことが一番いかせると。そもそも、ろくろは回転体でしょ。ろくろだと楕円や変形モノができない。で、発想が回転体になっちゃう。
辻:そっか、そっか。吹きガラスと同じだね。
安:それより一個一個違った方が面白いから、最初からタタラって決めてた。かと言ってその石膏を削る技術があったかというと、だんだん見つけていったんだけどね。
辻:写しから自分の制作を始めて、楕円で独自の方向を見つけて、でもそこでまた行き詰まるんですよね。
安:壁にぶち当たった。その時、日常に使われてる西洋のもので工業製品が作られるようになる前の時代のものが参考になるんじゃないか、っていう直感があったの。工業製品はロイヤルコペンハーゲンとか、いろいろ見てたし。それは違うって分かってたから。西洋骨董屋に通うんだけど貴族趣味のものしか置いてない。もっと民藝みたいな手仕事が残ってるものを探したけど、なかなかなくて。それで雑誌「太陽」の別冊で全国の骨董屋を紹介してて、それを見て回り始めたの。その関東編に「古道具坂田」が出てたわけ。
辻:そこからまた大きな変化が起きるんですね。
安:東京は家業の出張で年に何回か行くから、95年に坂田に初めて行ったんだよね。その時に坂田さんから期限切れのカレンダーとDMを頂いて。僕はまずカレンダーに衝撃を受け、明子はDMに衝撃を受けたの。明子は即座に「ここは半端じゃないセンスの持ち主だから連れてって欲しい」って。3ヶ月後に明子と1歳の長女を連れて東京へ。企画展をしていた古道具坂田へ行ったら、、奥さんの敏子さんが手伝っていて、明子は風呂敷包みに詰め込んだ自作を見てもらったわけ。その数ヶ月後に電話をもらってモン・サカタ20周年で一緒に展覧会をやることになって。それで転機になったのが 97年3月の同日開催で古道具坂田であったデルフトの白釉陶器展ね。絶対そこに僕の参考になるものがあるって思った。
辻:安藤さんの人生を振り返ったとき、大きな印を付けるならそこですよね。
安:そう。その展覧会の前日に行ったらもう10人ぐらい並んでて、坂田さんに先に見せてくれないか頼んだけどちょっと無理って言われて。それで初日の11時ごろに行ったら、もう8割9割売れてたかな。
辻:作品がもうなかった?
安:赤丸を付けて残してあるのもあったけど、買えるものは数えるほどしかなかった。でもデルフトの皿があったのよ。
辻:デルフトのあのリム皿ですか。
安:「これは俺を待ってたんだ」って思った。で3点買った。
辻:今も持ってます?
安:3点とも大事に持ってる。去年、兵庫陶芸美術館で「MINGEI ALIVE -いま、生きている民藝」っていう展覧会があって、アーカイブを出してくれって言うから、僕の初期の作品と一緒にオリジナルを出した。最近、そんな企画が続いたな。
辻:それで、そのデルフト皿から何を得たんですか。
安:リムが広い皿は当時、日本になかったし、裏側の作りがとても美しかったから、まずそのまま作りたいと思ったの。西洋と日本の焼物の作り方の違いは知ってたのね。日本は粘土で作って素焼きして釉薬かけて本焼きするって順番だけど、西洋はいきなり本焼きして生地を固めてから全面に釉薬をかけて焼くって。だけど、どこでどう浮かせて焼いてるのかが分からない。よく見ると裏側の縁に3箇所ちいさなピンの跡があって。後で分かったのはぴったりの大きさの匣鉢(さや、作品を守る耐火性の容器)に入れて焼くんだね。
辻:匣鉢?ですか。
安:僕は工業製品のようなアイテム展開をしたかったから、一つ一つアイテムごとに匣鉢を作ってたら莫大な費用が掛かるなと思って。それで西洋的な作り方は諦めて、日本の作り方で匣鉢に入れないで、同じように全面釉薬を掛けて、くっつかないよう浮かせて焼く技法にしたんだよね。
辻:浮かす、ってどういうこと。
安:日本の焼物は裏側は輪高台のつくりにして、釉薬は高台には掛けないようにしていた。焼いて棚板にくっつかないようにするためにね。その約束事を破って、表とか裏とか関係なく、全てを美しくしたいという思いがあった。彫刻をやっていたからかな。だから全面釉は絶対やりたかったの。みんながしている高台裏の釉薬抜きをしないでそのまま直に置いて焼いた方が歪みが出ないからね。B品が少ないんだよね。だけど僕は浮かせて焼きたいんで、釉薬をかけてから道具土っていうあんまり焼き締まらない土を接着剤でくっつけて、浮かせて、焼いた。
辻:それは企業秘密じゃないんですか。今では一般的な技法?
安:やってる人は少ないと思う。どうしてもB品が出る。その土が一個外れると歪んじゃうんだよ。土は窯の中で収縮するから、接着が甘いと外れちゃう。
辻:今も同じ作り方ですか?
安:やってる。だからB品が多い。でもそこは大事なところなんで。で、まず自分の技術でやりたいな、って思った時に、坂田の展覧会で青磁風の徳利が出てたんだよ、李朝写しの。李朝の青磁なら還元焼成をかけるんだよね。鉄釉をかけて還元かけると真っ赤な鉄釉が青く発色するの。だけどオランダにはそんな技術がなかったから、青い顔料を混ぜた釉薬を掛けて酸化で焼いたんだよ。ロクロの面取ではなく、型物の上に磁器でもなかったしね。朝鮮の土と陶工を持って帰れば同じものができるけど、それだと作れる量が限られる。だから自前の土と技術と職人で大量に作るために、白い土を探して青い顔料で色をつけたんだろうなと思って。でも、これは逆にオランダの素朴な個性になってるよなって。だからオランダの写しは、そっくりにろくろで作って西洋式の焼き方をしなくても、自分の技術で作れば単純なコピーじゃなくて、写しとしてちょっとズレたところの価値観が出るなと思った。
辻:技術のズレがオリジナルを生むってことですね。
安:だけど、タタラつくりに皿は向いてない。ろくろは水引きって言って水を使って回転をかけるから粒子が綺麗に揃い薄い皿でも落ちないの。それがタタラは型から外した途端にペタンとなる。うまくいっても今度は窯の中で落っこっちゃう。タタラで皿は無理だよ、って散々言われて。特にリムが大きいから。困ったな、と思って。その頃、イタリア在住の豊福知徳っていう人が書いた「愉しき西洋骨董」って本があって、17世紀のイタリア皿が載ってたの。オランダ皿と違ってリムは広いけど見込みがちょっと深いんだ。これだけの見込みがあれば補強になってリムが落ちないんじゃないか、と思って。
辻:それをヒントに作り方を探したんですね。
安:97年からそれを研究して。イタリア皿でね、できたの。落ちないようにできた。でもね、今度はリムが広すぎて使えないと言われて全然売れないの。98年に百草がオープンして、上の世代の人に怒られながらも、自分のギャラリーに自分の作品をこっそり置いたりしてたけど、本当に売れなくて。それでも諦めきれなくてやってたらオランダ皿が出来たの。
辻:ついにブレイクスルーですね。
安:突然。まあ色々イタリア皿とは違う技法を考えて。やってるうちに選択肢が色々思いつくじゃない。試行錯誤してるうちに出来たの。3年弱かかったかな。それで坂田さんのところに「出来ました」って持って行ったら、「あ、そう」の一言でさ。
辻:ちょっと拍子抜けですね。3年もかけたのに。
安:でもね、その1年後、新潮社から電話があって、芸術新潮で現代の器の特集を組むけど掲載していいか、って。坂田さんが安藤さんの器を推薦しました、って。それが2001年の3月で、4月号に載ったのかな。
辻:坂田さんはちゃんと見てたんですね。
安:しかもすごく使い込んであった。そこからワーッと注文が来るようになって。女性誌も取材に来るようになった。そうすると「もうちょっと小さいサイズないですか?」とか色んな注文が来て、こっちとしては「待ってました」って感じだよね。技術は確立してるから、大きくても小さくても大丈夫。コツを掴んだからね。
辻:量産が可能な技術だったんですか。
安:量産に向いてるものと新たに考えなきゃいけないものとあったけどね。デルフトの展覧会の時に坂田さんがデルフトの白釉だけを集めたオランダの本を下さったの。白黒写真だったけど、すごいバリエーションがあった。オランダ語の辞書を買って、それを参考にまず写しを作り始めて、日本の家庭に合うサイズ展開にしたり、形を変えたりして、一気にバリエーションを広げていった。
辻:快進撃が始まるわけだ。
安:新作がもう凄まじい勢いでどんどん思いついちゃう。
辻:それが何年ごろ?
安:2000年だね。ゼロ年代はもう一気に新作、とにかく早くバリエーション展開して市場をつくりたかった。
2017年 factory zoomer /gallery 展覧会
辻:手作りのものを工業製品のレベルに持って行ったのが生活工芸の特徴の一つで、安藤さんはそのトップランナーだと思うんですけど、生活工芸をどう捉えてますか。
安:基本カウンターカルチャーだと思ってるんだよね。それは何かというと、主流があって、その主流に対してそうじゃない道もあるよって。アーティストはそれが見えるタイプだと思う。こういうのもあるんだよ、こういう考え方したらまた違うんじゃないとか、もっと良くなるんじゃないって、その隙間だったり周辺だったりが見える。それがカウンターカルチャーだと思うんだけど、当時の主流が何かというと、まず工業製品と伝統工芸、オブジェ焼が圧倒的に強かったよね、90年代。それと手仕事のすごくデコラティブなもの。
辻:巨大な作品とか、アメリカンクラフトとか。
安:それに対して、工業製品的に使えるけど、毎日使っても同じ器に見えなくて、和洋中のどれを盛ってもうまく合って、飽きがこないもの。そして5年後、10年後でも補充が効くもの。工業製品的な発想を持ちつつ、手仕事の良さもある、っていうのが巨大な隙間として見えたわけ。当時は例えば鍋とかタオルとかスリッパとかに必ず花柄が入ってたり、安易に考えたようなデザインしかなかったじゃない。まず工業製品に対する不満があり、手仕事に対する不満があって、「こういうのがあったらいいのに」っていう、ある種のカウンターカルチャーとして僕はやり始めたんですよ。
辻:カウンターカルチャーですか。
安:具体的にこれっていう思想があるわけじゃないんだけど。ただ、あの当時こういうものを求めてる一定の人たちがいる、っていう確信があった。雑貨ブームもあったよね。根底には日本の無印良品とか、フランスのデュラレックスとかの影響があったかもしれない。「なんでもないけど、なんかいい」っていうような。そうしたものの手仕事版が僕にとっての生活工芸かな。
辻:確かに欲しいデザインのものってあんまりなかったですね。
安:それは多分、作家よりも使い手が渇望してたと思う。工芸畑から来た作家は工芸の価値観やヒエラルキーがあるから、陶芸なら織部とか志野とか、あるいは超絶技巧とか巨大化したオブジェとか、そっちを目指したと思うんだけど、僕みたいに外から入ってきた人間はやっぱり自分の生活っていう観点から見て、「こういうのがあったらいいのに」っていう思いがある。強いて思想という点で言えば、自分の生活から見た普段使いのものを手仕事で作る、っていうのが、生活工芸の初動的な動機じゃないかな。
辻:そうですね。生活工芸で生き残ってる作家は皆んな、それぞれの本流から出てきた人たちじゃないですよね。
安:その共通点は、ものすごく大きいと思う。
辻:確かに。安藤さんも違うし、三谷(龍二)さんも違うし。
安:それで自分の作品を扱ってくれる店がないから、自分で店を出して、文章も書かなきゃいけない。なぜこういうことをやるのか分かってもらうために。
辻:自分のものをちゃんと見せてくれる場がなかったんですよ。それなら自分でやっちゃえ、って感じで、皆んなお店を作りましたよね。
安:生活工芸とお茶も同じ図式だと思っていて。利休は信長の時代まではお茶を教えるトップの人で、信長は唐物、中国の茶碗を今なら何億という価値のものを戦功のあった武将に褒美に与えたでしょ。利休はすごくフォーマルなお茶をやってたんですよ。
辻:はい。
安:それは有産者、お金を持ってる人しかできなくて。利休は堺の商人だからできたわけ。で、秀吉の時代に変わった時に、お金のない人たちもお茶をやり始めた。それまでのフォーマルなお茶「本数寄」に対して「侘数寄」って呼ばれるお茶をね。もともと侘数寄も利休の師匠の頃からポツポツ現れていて、利休自身も気になってはいたけど、信長に仕えてるから本数寄をやらなきゃいけない。秀吉は農民出身だから分かってくれるだろうと利休も侘数寄を始めたんだよね。秀吉は誰でも参加できます、どんな道具でもいいですよ、って言って北野大茶会を開いたでしょ。
辻:秀吉は金色の茶室を作りましたね。
安:あれは利休に対する当てつけだと僕は思っていて。利休は仕事としてプロデュースしただけじゃないかな。侘茶って、ただ侘びた道具を使うことだけじゃなくて、「四民平等」と言って階級は関係ないですよ、とか色んな思想が入ってるのね。で、それは本数寄に対するカウンターカルチャーで、本数寄を知ってるからこそ成り立った。
辻:利休さんは主流から始まってカウンターに行ったんだ。
安:それは古道具坂田にも言えて、坂田さんは古美術業界に1年だけ居て、侘びを始めてるんで、やっぱりカウンターカルチャーなんだよね。僕も現代美術だったり、工芸も見てきて、そのカウンターカルチャーとして生活工芸を始めてる。だから生活工芸の中にお茶があるか、って言われるんだけど、もう戦国時代に大きな先例があるわけよ。生活道具を使ってお茶をやるっていう侘数寄の様式を利休が確立してるんだから。生活工芸とお茶って、すごい近い距離にあると思う。特に中国茶と相性がいいのは、日本の茶道ほど様式が確立されてないから、生活道具をそのまま流用できる。もともと文人趣味って生活道具、例えば書道の道具でお茶を飲むとかね。見立ての文化が文人趣味にあるから相性がいいんですよ。だからお茶は非日常だから生活工芸と合わないんじゃないか、っていうのは大間違いだと思う。
辻:それで安藤さんは抹茶のほかに中国茶やったり、コーヒーやったり、喫茶文化だったり。色んなものを平等に推してる理由は何ですか。
安:20代でアメリカに行った時、日本のネイティブな文化を持ってないと世界で戦えない、ってまず思ったじゃない。でも日本のネイティブな文化って定義が難しくて、島国だから外から入ってきたものをうまくアレンジメントして作り上げたものが多いでしょ。でもそのアレンジメント能力が半端じゃなく、日本を象徴していて、独自のものに変えていく。お坊さんが持ってきた眠気覚ましの抹茶が茶道っていう様式になり、コーヒーにしても大坊(勝次)さんたちがネルで淹れる喫茶文化を作り上げた。
辻:アレンジが日本文化の大事な一つ、ってことですか。
安:そうです。だから「これは私の国のオリジナルです」と言って持っていかれるのはどうかな。喫茶文化として様式化し、総合文化として完成度の高いものに日本が育んだでしょ、っていう証拠を残さなきゃいけない。それで本を作ったりしてるの。茶の湯の喫茶文化っていう奥深いものがあって、それを応用することでコーヒーも中国茶も喫茶文化になり得ると。
辻:抹茶をやってた安藤さんが、いつの間にか中国茶をやってて、不思議に思った時期があったんですよ。あれは抹茶のアレンジとしての中国茶だったんですね。
安:なぜ日本の作家が中国で人気が出始めたのか、すぐ理由が分かったから。茶道のいいところを中国茶に取り入れて日本で育んだ方が面白い文化になると思ったの。
辻:日本人が中国茶の新しい流れを作っていかなきゃいけないと思った、ってことですか。仕掛けた、ってことですね。
安:そう、仕掛けた。確信的に。いかにバリエーション展開するか、あったらいいなを全部焼きもので作ってやろうと思ってたからね。だって誰もやってないんだから。
辻:また、大きな隙間?穴?がみえたんですね。中国にもなかった。今じゃ有名な話だけど、安藤さんのミルクピッチャーが茶海になった、そのストーリーも面白いし。
安:さらに考えてコピーしづらいものを作ろうと思って。回転体だとすぐにコピーされそうだったから、絶対コピーできないだろうと輪花を作り始めて。脚がついた高杯を作った時も仏花器に似てるからダメって言われたけど、すごい人気出たし。くりぬきの茶盤もそう。
辻:この中国茶での展開はまだ続きそうですか。
安:日本の茶道とのハイブリッドはまだできてないんだよね。茶道から取り入れたいのは掛物と花とお菓子、この3つ。中国ではまだお菓子をお茶のお供として認めてもらえない。台湾でもその傾向があるね。
辻:そういうお茶会を開く時に心がけてることは何ですか。
安:最初の頃は会話で盛り上げてたけど、大坊さんのコーヒー会をやった時、大坊さんは一切喋らないんだよね。スタッフの会話も禁止されたんですよ。それをずっと見てたんだけど本当に美しくて、何も喋らなくても。それから僕も1煎目、2煎目はほぼ会話しないで、3煎目ぐらいからちょっと話すとか、会話の量を一気に減らして、無言の時間を愛おしむような方向性かな、今は。掛物は壁に釘を打てないとか会場の制約でできないこともあるけど、花はだいたい生けてる。抹茶、コーヒー、中国茶、ハーブティーもやりたい。この間、韓国で4種類をお出しする茶会をやったけど、道具も毎回変えるから大変だった。
2017年 factory zoomer /gallery 展覧会
辻:これからの生活工芸についてはどんな風に考えてます?
安:なんでもないものの中に美を見つける、っていうのは誰にでもできるものじゃない、っていうのはあって。自分の中の目標としては持ち続けてるけど、生活工芸のこれからを考えた場合、そこに拘ってると自分を苦しめるだけになっちゃうんで。生活工芸の本質は最初に話したように、やっぱりカウンターカルチャーなわけだから、アーティストは社会の周縁にいて、中心に向かって「それおかしいよ」とか「こういうのあるよ」とか言い続けるものだと思うんだよね。それで社会がズレて周縁が中心になっちゃった時は、アーティストはそこからまた周縁に行く。自分のポジションが確立したらそれで良かったじゃなくてね。それによって裾野が広がって、新しい物の見方、価値観ができるっていうのがカウンターカルチャーの要素だから。
辻:素晴らしいなー。実はそんなこと考えてたんですね。いつも、ふざけてばかりだから気づかなかった。
安:僕も辻さんも、もともとアートから入ってるからさ。あの頃の延長というか、その時の精神性を今に置き換えたら絶対に違うものができると思うんだよね。
辻:私は今回、百草での展覧会で、涙の作品を一つ吊るしました。あれは、現代美術に憧れた時代の名残りなんですが、百草でお茶会を行なったときに、天井から吊るさせていただき、日本人が、今中国茶という長い歴史、大きな流れに一滴を落としているという意味です。売れましたよ。
安:そこに意地を感じた。あれは売れても売れなくても出すことに意味がある。初心を表してるし、意地を表してるんで、大事なこと。それでね、昔「もしドラ」って野球部の漫画が流行ったでしょ。あのドラッカーの「マネジメント」という経済学の本に、ライバルが現れて売り上げが60%になっても相手も60%だったら足して120%になって業界としては広がってるから、それを喜ぶべきだ、って書いてあるの。
辻:そうなんですね。
安:今の生活工芸の現状がそれだと思うんだよね。若手がどんどん出てきて、僕らが売り上げを伸ばすのは大変なんだろうけど、業界としては確実に成長してる、っていうのはある。それを喜びつつ、僕らがやらなきゃならないのはやっぱり作り続けることだよ。定番も新作も。かつては小説家やアーティストは60歳過ぎると文豪とか大作家とか言われたけど、戦後世代の文化は違う。あの村上春樹だって文豪なんて呼ばれない。坂田さんも最後まで「若手に負けたくない」って言ってたし、おそらく村上春樹もそうだと思うんだよ。これは作り手の性(さが)というか、時代の運命だよね。
辻:やるっきゃない、ですね。
安:そう、やるしか。
辻:やっぱり安藤さんの話は元気が出ます。
安:僕、一番大事にしてる言葉が老子の「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」って言葉で、水は人々を豊かにしながらどんどん下へ下へと落ちていく、ってさ。それは絶対権威にならないってこと。坂田さんとか、細野晴臣とか、そうでしょ。
辻:私が好きなのは、実るほど首を垂れる稲穂かな、ですね。それで金沢の展覧会ですけど、どんなことを考えてますか。
安:辻さんから薪窯の白磁、って提案があったじゃない。オーダーを受けて薪窯の修理をしたところ。
辻:やったー!うれしい。ぜったい面白いと思うよ。安藤さんの今のシリーズをそのまま薪窯で焼くの。
安:目標は10時間だけど14時間ぐらいかかるかもしれない(20時間掛かった)。磁器のものも今、一緒に作ってるんで、一発でうまくいくかどうか分かんないけど。新しい釉薬と磁器で試しにガス還元で焼いてみたら、なかなか良かった。中は釉薬かけて、外は焼きしめの部分を残したの。真っ白なんだけど、山土を少し混ぜたから、ちょっと表情があって。縦にちょっとテーパーかけて。焼きしめでも当たりが優しいの。磁器は吸水率ゼロで水を吸わないから、飲んだら多分、味も美味しいはずだし。
辻:いいですねー。出てくるのが楽しみだなー。中国茶の道具は入ってますか。
安:今回は食器が多いかな。中国茶関係では茶杯が入るよ。磁器は歪みやすいんで、タタラには向かないとされていて。ほかには茶入れもこれから作ろうかな。まあ1テーブル分ぐらいは磁器の中国茶道具を出せると思う。うまく焼けたらだけど。
辻:新境地ですね。安藤さん、そういう自然のもので焼かないのかな、ってずっと思ってたんですよ。ヒエラルキーでいったら一番上だから。(笑)それで最後の質問ですけど、「ライフ」という言葉から思い浮かべることは何ですか。
安:生活工芸プロジェクトの第2回に声を掛けられて、どういう風に英訳したらいいか考えたじゃない。あの時、辻さんはデイリーライフって提案してたよね。だからズーマの店にライフって付けたと聞いて、これは生活工芸を一言で表す言葉だなと思った。
辻:ファクトリーズーマ/デイリーライフだと長過ぎるから、ライフだけにしました。
安:なんか僕は工芸界に対する主張がライフという言葉に表れてると感じたけど。
辻:ありがとうございます。でも、私は残念ながら、安藤さんみたいな確信犯ではないんですよ。どちらかというと感覚派でして。あと、私が聞きたいのは、安藤さん自身、ライフと聞いたら何が浮かびますか?
安:さっき中心と周縁の話をしたけど、子供の頃からいろんなコンプレックスが強くて。例えば僕は保育園だったのね。当時保育園っていうのは共働きの家ってことを表していて。で、幼稚園に行ってる子は母親が専業主婦の家なんだよね。だから幼稚園に通ってる同級生にすごいコンプレックスがあったりして。
辻:そんなことでコンプレックスを感じてたんですか、面白いね。
安:そういう風に感じたの。だから他の人が気付かないことに気付いちゃう。それがアーティストとしての根本になってるんで。常に周縁から眺める癖がある。時代の波に乗れない、っていうのはそこ。
安:だから僕のライフは多分、普通の人とちょっと違う。ひねてる、って言えばひねてるかもしれないけど。それを幸にポジティブに転換する何かを与えられてるんだなと思って。気付いたことをただショボンとするんじゃなくてね。
辻:そうですよね。
安:それがエネルギーになったり、何かのヒントになったりしてる。まあ受け入れるしかないな、って。だからとにかくネガティブなことは口にしない。
辻:禅の教えでしたっけ?
安:気付いたことをいかにポジティブに転換するかというのがアーティストの仕事。それが僕のライフかな。
<略歴>
安藤雅信(あんどう・まさのぶ)1957年、岐阜県多治見市で陶磁器卸商の家に生まれる。武蔵野美術大学彫刻科を卒業後、多治見で焼物を学ぶ。現代美術家としての活動、インドでのチベット仏教探究を経て、94年から焼物制作を生業とし、オランダ皿など定番となる日常食器を数多く手がける。古民家を移築して98年にギャルリ百草を開く。2000年に若手作家のためのレンタル工房「MAVO」を開設。著書に「どっちつかずのものつくり」「茶と糧菓」など。
<編集後記>
自他ともに認める「どっちつかず」は、人並み以上の探究心と高い柔軟性の表れなのでしょう。主流に対するカウンターからの視点と生活者としての提案という話を聞いて、安藤さんが生み出す形の素のようなものに触れた気がしました。(鈴)
94th exhibition
ando masanobu
2026.09.11 fri. — 10.12 mon.
安藤雅信展 交種茶会のお知らせ
2026.08.17
event
factory zoomer /life で開催する安藤雅信展では、展覧会初日の9月11日(金)・12日(土)の日程にて茶会を開催いたします。
ウェルカムティーに始まり、安藤さん自らが淹れる抹茶と中国茶、コーヒーなどバラエティに溢れる茶会となる予定です。今回、factory zoomerでは初めてご紹介させていただく長谷川あみさんの、上質な素材のお菓子と共にお楽しみいただけます。ぜひご参加ください。
※この両日の入店は、イベントご参加のお客様に限らせていただきます
ー交種茶会ー
日時:9月11日(金) ①11時30分 (開場 11時) ②15時~ (開場 14時30分)
9月12日(土) ①11時30分 (開場 11時)
席主:安藤雅信
菓子:長谷川あみ
飲み物4種類、菓子3種類
お申し込みはfactory zoomer /onlline shopよりチケットをご購入ください
■ご確認ください■
・会場には茶席開始の30分前よりご入店いただけます。
・席数が限られています。キャンセルはご容赦ください。やむを得ずキャンセルの場合は代理の方を立てていただけますようお願いいたします。
9月の営業日
2026.08.17
calender
fctory zoomer /life 9月の営業日のお知らせです。
9月11日(金)から、陶作家でありギャルリ百草主宰の安藤雅信さんの展覧会を開催します。今回の展覧会では、火の当たり方などで焼き上がりが異なる、土窯焼成で制作した安藤さんの定番の作品のラインナップもご覧いただける予定です。
※展覧会の初日と2日目は、茶会に参加される方のみご入店いただけます。
展覧会の初日と2日目は、安藤さんが自ら淹れる抹茶や中国茶、コーヒーなどをお楽しみいただける「交種茶会」を開催します。お茶に合わせるお菓子は、factory zoomer では初めてご紹介させていただく、パティシエの長谷川あみさんが作ってくださいます。
●青花の会|工芸と私91|安藤雅信+石川嵩紘|「生活工芸は現代美術の植民地」か:安藤雅信展を機に
9月12日(土) 安藤雅信さんと、キューレーターで美術評論家の石川嵩紘さんとの対談を開催いたします。ご予約は工芸青花のホームページよりお申し込みいただけます。
茶会の詳細やご予約については、追ってホームページやインスタグラムにてお知らせいたします。
open time 12:00ー18:00
カフェ営業 teeor cafeは、週末(金曜〜日曜)の営業となります。
イベント開催の際は変更になりますので事前にご確認をお願いいたします。
9月も皆さまのご来店を心よりお待ち申し上げております。
glass⇄plastic展 御菓子丸+factory zoomer喫茶のお知らせ
2026.07.23
event
7月24日(金)より始まる、factory zoomer glass⇄plastic展に合わせ、今年も御菓子丸さんと、factory zoomerによる喫茶を8月8日(土)、9日(日)の日程にて開催いたします。
今回はこの喫茶のために制作した、glass⇄plasticの新作にどんなお菓子を盛ってくださるのか、楽しみです。またとない機会となります。ぜひ、皆様のご参加をお待ち申し上げております。
※写真は前回のお菓子です
◯glass⇄plastic展 御菓子丸+factory zoomer喫茶
日時:8月8日(土)
①11:00〜(満席) 、②13:30〜(満席)、 ③15:30〜(満席)
8月9日(日)
①11:00〜(満席) ②13:30〜(満席) ③15:30〜 (満席)
料金:9,350円 (税込)
*ご予約制
ご予約・お問い合わせは、factory zoomer /life (076-255-6826)までご連絡ください
●お願い
*お席が限られておりますので、キャンセルはご容赦ください。キャンセルの場合は代理の方のご参加をお願い致します。
93rd exhibition glass⇄plastic
2026.07.24 fri.- 09.06 sun.
12:00→18:00
photo by suzuki shizuka
今回のテーマ「glass⇄plastic」は、わたしのナンセンスな遊びから始まっている。雑貨屋さんで見つけた古いプラスチックのコップは、もとはというとガラス製品だった。代用品として生まれたプラスチックを再びガラスに戻してみたいという小さな欲求の裏で、プラスチックという現代の量産素材を、吹きガラスという手工芸で逆写しすることで生まれる、新たな視点、物の価値、完成品の美しさを目指した。人によっては、行き過ぎたプラスチック製品の大量生産、大量消費への警鐘か?など社会的テーマを感じる方がいるかもしれない。またある人は、ガラスとプラスチックの色が類似しているところに美しさを見つけてくれるかもしれない。このテーマは、作家にとっても思考と制作と出来上がりのバランスが良く、幸福感がある。ほんとは、その幸福感がわたしは、一番大事だと思っている。 辻 和美
●初日の7月24日(金)終日〜25日(土)15時までは、招待状をお持ちのお客様のみのご入場とさせていただきます。
招待状をお持ちでないお客様は、7月25日(土)15時以降にお越しください。
◯イベントのお知らせ
8月8日(土)・9日(日) 御菓子丸+factory zoomer 喫茶(要予約)
※予約方法など詳細は追ってInstagramなどでお知らせいたします
対談「lifeを探して」⑲「理想を支える職人の手の力」
2026.07.13
interview
対談「lifeを探して」の19回目は、factory zoomerの「glass⇄plastic」展にちなんで工房のツートップを交えた特別編。工房には制作に携わる5人の職人スタッフがいますが、今回は、辻和美の制作を補助する吹きガラスのリーダー岡田歩、カットから工程管理まで担う工房長の島元かおりにスポットを当てました。
(対談は2026年7月、金沢市内の工房事務所で行った。構成・鈴木弘、写真・沼田万州美)
辻:2人はズーマに来てどれぐらい経ったかな?
岡:入ったのは25歳の時だから確か2005年です。最初はアルバイトでしたけど、今年の3月で丸21年になりました。
辻:そんなになるのね、早いねー。
島:私は大学を2014年に卒業してすぐ入ったから今年の3月で12年が経ちました。今年は13年目です。
辻:干支が一回りしたね。2人は最初は、大学でガラス工芸を学んだんだよね。出身校はどこだっけ。
島:長岡造形大学(1994年開学)の美術・工芸学科です。今は公立になりましたけど、私がいた頃は私立の学校でした。働いて奨学金を返しました。
岡:私は倉敷芸術科学大学(1995年開学)です。まだ出来て新しい所でした。実家が岡山で割と近かったので。
辻:私が留学から戻って就職した金沢卯辰山工芸工房ができたのが平成元年(1989年)でしょ。あの頃は全国でガラスがブームというか、専門の教育機関が次々にできて、ガラスを専攻する学生が増えた時期だったな。倉敷や長岡もそうだよね。それで、2人がズーマで働くことになったきっかけは?
岡:大学4年の時、ガラス作家の大村俊二さんのワークショップに参加して、そこに講師として来ていた和美さんにお会いしたのが最初です。そこからのご縁ですね。
島:私は長岡の中村(和宏)先生から「和美さんがスタッフを探してる」って聞いて、それで紹介してもらいました。
辻:2人は、何でガラスを制作の素材に選んだの? 素材と出会った経緯は?
岡:高校は家政科だったんですけど、実は美術系に興味があって。父親の同級生が北海道にいて、その伝手でガラス工房をいくつか見せてもらい、制作の行程に魅力を感じ、そこから倉敷の大学を目指すことにしたんです。絵の塾に行って一夜漬けみたいな受験でしたね。
島:私はシンプルですよ。元々は絵画志望だったんですけど、高校時代に和美さんの作品を見て、こんな絵を描こうと思ったんですけど、平面じゃ表現しきれなくてガラスにしようと長岡の大学に行ったんです。そこで吹きガラスをするつもりが、学校の事情でできなくて。そんな時に和美さんが授業に来て、いろいろ作品を見せてくれたんです。その中にあったしのぎの作品が特に印象的でした。
辻:廣島(晴弥)君がカットしたしのぎだね。
島:あれを見て「これだ」って思ったんです。それで私はカットでいこうと決めました。辻和美でできてるんですよ、私は。
辻:なんだよ、それ、嬉しいなー。じゃあ自己紹介を兼ねてそれぞれの現在の仕事や役割を話して。
岡:まず吹きガラスで作品を作ること。そして和美さんがブローする(吹く)時のアシスタントですね。ホットショップ(溶けている熱いガラス)の仕事です。他のスタッフへの制作の指示や機械の管理も担当です。あとは作品の梱包やお客さまへの発送もします。
島:私はコールドワーク(成形された後の冷えたガラス)全般です。主に作品のカットと研磨ですね。他にスタッフのシフト管理やら何やらを工房全体を見ながらやってます。あとはワンコのお世話を。
辻:ワンコの世話はうちの工房では大事だからねー。(笑)
島:制作の話で言うと、吹きで形ができた後、冷めて炉から出てきたガラスはほぼ全て私の管轄になります。
辻:すごいね。その意気込みは素敵! 私は、ホットワーカーとコールドワーカーがちゃんと常時いる工房が昔から理想だったんだよね。吹いた形に、表面の模様をカットでつけたり、仕上げをきちんとする。安定感のある座りの良い器を提供したいと思っている。で、2人は、職人として働く上で一番大事にしてることは何?
岡:自分が任された仕事はやり通す、ってことですかね。あと作った作品をチェックするんですけど、お客さまの手元に届いた時に喜んでもらえる仕上がりかどうかを判断することが大事だと思っています。
辻:素晴らしい。島ちゃんは?
島:カットにしろ模様つけにしろ、自分の好みはいったん脇に置いといて、和美さんのイメージをそのまま反映できるように、和美さんの頭の中のデザインをガラスの作品に全て落とし込むことを一番に考えています。研磨に関してはガラスの状態がどんなものでも簡単に捨てない。傷を直したり、傾きを修正したりして、何かしら作品に昇華させて、お客さまの前に出すように意識しています。
辻:島ちゃんは、作ったモノは、ちょっと曲がってたりしてもすぐに捨てないね。あとで、何かになるかもしれないものね。「秘蔵っ子」とか言って、隠してるよね。工房を運営している側からすると大事なことだよ。ところで、私と一緒に働く難しさって何?
岡:和美さんが理想と現実の間で頑張ってるのをサポートすることですかね。
辻:ありがとうございます。いつも大変だよね。そう、クリエイティブは理想と現実の間を行ったり来たりしてるんですよ。制作の面でも金銭の面でも。
島:和美さんがしたい模様と私の持ってる技術とのすり合わせは確かに大変ですけど、そこが楽しい部分でもありますね。仕事をしていて一番楽しい時間かも。
辻:2人ともうちに勤めて長いけど、印象的な失敗談とかある? 苦労話でもいいよ。
岡:もう15年ぐらい前だと思うんですけど、仕事終わりのルーティンで徐冷炉のスイッチを押し忘れて、次の日に来たら100度以下に下がっているはずの温度が500度のままで、冷めるまで制作できないという失敗がありました。それも加倉井(秀昭、ギャファー)さんが大物を作りに来ている時で皆さんに大変ご迷惑をおかけしました。
辻:ああ、あれか。ルーティンが一つ抜けちゃったんだよね。そんなこと気にしてたんだ、ずっと、バカだな〜。
岡:そうです。ボタンを2から3にしないといけないのをステップし忘れました。もうトラウマみたいになって、あれから家に帰る前に3回は確認するようになりました。それでも心配で工房にまた戻って再確認したこともあります。だって次の日、作業ができないし、電気代もかかるし。
辻:まあねー。他に制作の上での苦労話はどう。
島:展覧会で目玉になるような、加倉井さんが作る一点ものがあるじゃないですか。あれの底が割れちゃって大きくヒビが入ったのをどうにか全部削って別の形にしてなんとか作品に仕上げたことがありました。
辻:割れてるとこ全部削ったんだよね。
島:一部だけ削るとそこだけ直した跡が目立つから。本当は丸い形だったのを抉ってシャープな形に作り変えたんです、コールド側の仕事として。展覧会のメインを無くすわけにはいかないから、あれはプレッシャーでした。失敗談はいっぱいありますよ、もう数えきれないほど。業者さんへの発注をミスったり、掃除の時にペンキをぶちまけたり。制作に関しては色んな人に怒られてきました。挫折もしました。泣きながら「すみません」って言ったら、和美さんから「謝る言葉はいらないから」って返されたこともあったし。
辻:えー覚えてない。何で泣いたんだっけ。
島:大学出たてで、最初は磨きの仕事ができなかったんです。慣れないし、覚えられないし、仕事の量は多いし。それで。
辻:じゃあ今の20代のスタッフ見てると懐かしい感じがする? 自分もそうだったな、って。
島:そうですね。
辻:それでズーマはこのところ中国茶の器や道具に取り組んでるわけだけど、新しいテーマが出てきた時の気持ちって、どんな感じ。
岡:やっぱり頭の中では現実的なことを先に考えますね。課題と技量をすり合わせる中で、ああ大丈夫かな、やっぱり無理かなって。最初から安全策でいくのはあんまり良くないかもしれないけど。
辻:いやいや大丈夫。制作班としては作品として成立させなきゃいけないわけだから現実は大事。私は思考する方だから、どっちかと言えばぶっ飛んでくわけですよ。現実を考える人がいないと作品は完成しないからね。
島:私は一緒にぶっ飛んでいくタイプなので。面白そうと思ったら、あれもしましょう、これもしましょうって言って、後で皆んなに怒られる。
辻:そういう意味ではいいバランスだよね。ぶっ飛んでるのと抑えるのとが一緒にいて。それで今回の展覧会「glass⇄plastic」(グラスプラスチック)に関して、始めた時はどんな風に感じた? これはガラスの代替品として生まれた古いプラスチックのコップをもう一回ガラスに戻すっていう、私のちょっとした遊び心で2017年から始めたシリーズなんだけど。
岡:別にそんな驚きはしなかったですよ。
島:そう、想定内というか。
辻:はいはい、って感じ?
岡:不透明な色をちょっと薄めたりするんだな、和美さんらしいな、みたいな。
辻:作品自体がきれいだし、プラスチックみたいなガラスという驚きもあるだろうし、この逆写しが見る人の価値観を刺激してるんじゃないかな。少しずつ中身を変えながらあちこちで発表してるけど、いつもお客さんの反応はいいよ、楽しんでくれてるみたい。それでグラプラの制作で特に気を付けてることは何かある?
岡:今回はイベントで御菓子丸さんが使う新しい器がありますよね。あの器は形がとても重要なのかなと思っています。形の綺麗さを追求したいと考えています。
辻:うん、そうだね。あと発色が難しいよね。前と同じ番数を使ってるのにガラスの色が安定しない。色を作る海外の職人の問題じゃないかと思うんだけど。
岡:特に派手な色ばかり割れるんです。同じ番数でも個体差が結構あって。
辻:代替色を探して作ったりしてるよね。御菓子箱みたいな形もあるけど、あのカットは難しくない?
島:私はプラスチックの見本にできるだけ忠実なサイズを出してカットできるようにしているんですけど、うちの工房にある機械でできる範囲があるから、それを確認しながらできるかどうか和美さんとすり合わせをするようにしています。
辻:ほとんどそのものみたいに写すものもあるけど、元の形の要素を取り入れながらデフォルメするものもあるし。ガラスで作った時に違和感がないようにしないといけないからね。
島:私はカット模様つけなので、ブロワーさんたちには「もう少しここを肉厚にしてほしい」とかいうリクエストはあります。ある程度の厚みがないと削れませんから。
辻:まあプラスチックの逆写しとは言ってるけど、実はうちがスタンダードでやってることを上手く応用していく。自分たちが持ってるものと共通した部分を見つけてうまく当てはめていく。ぶっ飛んでるとは言いながら、現実的なことも考えてるんだよ。いきなり新しい形は作らないでしょ。そこはちゃんと計算してるつもり。
辻:色に関して言えば、プラスチックが経年変化してくすんで薄茶色くなるじゃない、タバコ色に。うちではFRPって呼んでるけど。あの色が私は好きでよく使ってるよね。FRPは色が濃くても薄くても綺麗だから、今回もいっぱい使いたいかな。一見汚く見えるものがよく見ると実は綺麗だということをお客さんに見つけてもらいたい。あとピンクのペットボトルも作るよ。
岡:このシリーズは半透明な仕上がりだから、透明なガラスに少ない量の色をきせるのが難しいですね。ムラなく均等に色をつけるにはやっぱり慣れが必要で。ガラスを巻いた竿の先につける色はほんとに豆粒ぐらいの少量ですから。重さにしたら1グラムとかそれぐらいじゃないですか。
島:コールドの作業場から見ていても、色は難しいなと思います。でも会場にカラフルな作品が並ぶとおもちゃ屋さんみたいで楽しいですよね。
辻:出来上がった作品がハッピーな感じ、幸せ感があるよね。作品自体が可愛らしくて、見てて気持ちが明るくなるような。そういう人に幸福感を与える作品って大事だと思う。だからどこの会場でもお客さんに喜んでもらえるんじゃないかな。
<略歴>
岡田歩(おかだ・あゆみ)1980年、岡山県生まれ。倉敷芸術科学大学卒業。金津創作の森ガラス工房(福井県)で2年間ブローを修業。2005年からfactory zoomerのスタッフとなり、現在は吹きガラスのリーダーを務める。
島元かおり(しまもと・かおり)1991年、群馬県生まれ。長岡造形大学卒業。在学中、江戸切子で知られる気賀沢雅人氏にカットの技術を学ぶ。2014年にfactory zoomerに入り、カットや研磨の腕を磨く。工房長として制作のほか工程管理やシフト調整も行う。
<編集後記>
前回の対談に登場した奥村忍さんがそうだったように、2人のスタッフもまた作家や作品との出会いがその後の人生を方向付けていました。ズーマが送り出す作品も手にした人にとって何かのきっかけや力になれば、それは作り手冥利と言えるでしょう。(鈴)
93rd exhibition
glass⇄plastic
2026.07.24 fri. — 09.06 sun.
●初日の7月24日(金)終日〜25日(土)15時までは、招待状をお持ちのお客様のみのご入場とさせていただきます。招待状をお持ちでないお客様は、7月25日(土)15時以降にお越しください。
/lifeのスタッフを募集します
2026.05.22
news
金沢のガラス工房factory zoomerのコンセプトショップ factory zoomer /lifeが犀川のほとりに出来て2年が経ちました。ガラスをはじめ衣類や喫茶などと人の暮らしに寄り添うモノやコトを紹介し、県内外から何度も通ってくださるお客様にもめぐまれてきました。3年目が始まったこの節目に、今回この空間で一緒に働いてくれる方をチームの一員として迎えたいと考えています。ぜひお問い合わせいただけると嬉しいです。
(ガラス作家・代表取締役 辻和美)
■店舗スタッフ 募集要項
【 雇用形態 】アルバイト(週3日程度)
【 仕事内容 】
店舗運営 全般
・お客様対応全般(お問い合わせ対応・制作チームとお客様の掛橋など)
・工房で制作されたガラス食器の販売及び受注
・辻和美セレクトによる衣類・食器・食品など生活にまつわる作家作品やメーカー商品の販売・在庫管理
・オンラインショップ運営(受注処理・梱包発送・在庫管理等)
・SNS等の更新
・中国茶稽古の運営。稽古準備、参加者管理等
・定期入荷するパンや食品類などの販売準備・販売
・その他、店内清掃などの雑務及び、日々の売上管理等の事務作業
【 応募資格 】
・金沢市に住所がある方、または転居予定の方
・体力に自信のある方
・笑顔で働ける方
・長く働ける方
・お客様の立場になって考え、対応できる方
・車をお持ちの方優遇(運搬などで使用していただく場合があります)
【 募集要項 】
時 給:1,100円から 経験・能力により優遇
勤務時間:10:00~19:00の間で時間・曜日 応相談(火曜・水曜は定休日です)
待 遇:交通費規定内支給、勤務時間数により社会保険加入あり
【 勤務地 】
・factory zoomer /life(金沢市清川町 3-18)
■ご応募について
履歴書と志望動機、連絡先の電話番号をまとめ下記担当までお送りください。書類を拝見後、面接をお願いしたい方のみご連絡させていただきます。
※応募書類は、採用選考の終了後に当方にて責任をもって破棄いたします。
応募書類送付先:〒921-8032 石川県金沢市清川町3-18 factory zoomer /life 担当:沼田 宛
またお問い合わせは以下のメールアドレスにて受け付けます。
info@factory-zoomer.com
6月の営業日
2026.05.22
calender
fctory zoomer /life 6月の営業日のお知らせです。
5月29日(金曜日)から、国内外の民藝品を紹介するオンラインショップ「みんげい おくむら」の展覧会を開催いたします。factory zoomerでご紹介させていただくのは今回が初めてとなり、中国の古い茶道具を中心に、木工品や金属などをご覧いただける楽しい展覧会になりそうです。
みんげい おくむら展に合わせて、店主の奥村さんと兼ねてからご友人である、chanowa 出野尚子さんのお茶会を開催いたします。お茶会のご予約はお電話にてお受けいたします。tel:076-255-6826(factory zoomer /life)
お茶会の詳細や予約状況につきましてはこちらをご覧ください→●
open time 12:00ー18:00
カフェ営業 teeor cafeは、週末(金曜〜日曜)の営業となります。
イベント開催の際は変更になりますので事前にご確認をお願いいたします。
6月も皆さまのご来店を心よりお待ち申し上げております。
対談「lifeを探して」⑱奥村忍「届けたい 暮らしを照らす手仕事」
2026.05.22
interview
対談「lifeを探して」の18回目の相手は、手仕事から生まれた生活道具を扱うWEBショップ「みんげい おくむら」店主の奥村忍さん。1年じゅう国内外の産地や作り手を訪ねて奥村さんが追い掛ける民藝(民衆的工芸、民芸)とは何か、古物好きでショップの利用者でもある辻和美が聞きました。
(対談は2026年4月、千葉県船橋市内の「みんげい おくむら」事務所で行った。構成・写真 鈴木弘)
辻:factory zoomer /lifeでは初めての展覧会になります。まず「みんげい おくむら」とは何か、どういう経緯でオープンしたのか、そのあたりから教えてください。
奥村:僕は今45歳ですけど、20代半ばに「民藝」という言葉に出合いました。ただ言葉を知る前から、実家では沖縄とか益子(茨城)とかの器を使ってました。母親が好きで、家には民藝のものから作家もの、ロイヤルコペンハーゲンとかウェッジウッドとか色々ありました。
辻:そういった器に小さい頃から接してたんですね。
奥村:だから意識せずに民藝のものとは交わってました。それで20代半ばに大阪で暮らすんですけど、もともと転勤はない前提で入社したから、まあ1年ぐらいだろうとマンスリーマンションに引っ越したんです。そしたら家財道具は全部揃ってるけど何一つ好きじゃないんですよ。で苦しくて。何だろうこれはと思ってた時、大阪の友人から引越し祝いのようにしてガラスのコップをもらったんです。
辻:作家ものですか?
奥村:個人でやってる大阪の作家さんのです。で、そのコップが1つ家に入ってきた時にパーンと何かが変わったんですよ。千葉の実家だと自分の部屋は自分の好きな物で構成されてるから居心地がいいじゃないですか。でも何の縁もゆかりもないものばかりの所に放り込まれたら、こんなにストレスなのかって思ってたんです。
辻:当時はどんな仕事をしてたんですか。
奥村:雑貨のメーカーで営業やってました。
辻:生活環境が一変した上に、無機質な空間にいるのがストレスだったんですね。
奥村:僕はすごく本を読むから新しい家でもどんどん本を買ってたんですけど、その中に民藝の本もあって、自分が暮らしに対して思ってることと民藝の先人が書いてることがすごく近い部分があるなと感じてたんです。民藝の人たちは、その手の仕事を生活に取り入れることであなたの暮らしが良くなりますよ、って言ってて。20代の自分は疲れ果てて帰った時でも好きなものがあると生活に潤いを感じる。じゃあ自分が好きなものは何だろうって考えた時、実家の暮らしを振り返ると食器は民藝のものだったんですよ。家では沖縄の器とかを選んでました。読んでる本と実家で使ってた食器はリンクしてるなと思って。それで関西だから週末ごとに西日本各地を旅してたんです。砥部焼(とべやき、愛媛)とかの産地だったり、民藝的な所だったり。作り手に自分と近い世代の人がいるのが面白かったんです。
辻:手の仕事はおじいさんがやるもんだと思ってました?
奥村:そうですね。もっと上の人たちかと。それで若い人たちの作ってるものが結構かっこいいし、いいなと思ってちょこちょこ買って帰るわけです。それで大阪の1人暮らしの家もそれなりに充実してきて、料理の腕も少しずつ上がっていくんです。あの頃、東京の銀座にある老舗の民藝店にも行ってみたんですけど、そういう所は新しい風が吹いてなくて、これじゃ全然みんなの目に届かないぞと。
辻:それでWEBショップを始めたんですか。
奥村:当時、インターネットで物を売ることが普及し始めていて。じゃあこの手法で自分が民藝のものを紹介したら、老舗とは競合しないだろうし、民藝の仕事を知る人が増えていいんじゃないかと思って。それがスタートです。民藝運動を提唱した柳宗悦(やなぎ・むねよし)に「手仕事の日本」っていう有名な本があって、柳の時代の手仕事の全国マップなんです。僕もこれを頼りに各地に行くんですけど、もう結構ないわけですよ。90年前の世界と今の世界では当然ものすごい変化があって、生活の変化の中で無くなっていく手仕事がある。それなのに民藝の本筋の人たちは、いまだに民藝の漢字表記が旧字か新字かなんて議論してたり。うちが民藝をひらがなで書くのは、そこに繋がるんです。
辻:どうして「みんげい」なんだろう、って思ってました。
奥村:問題はそんなことじゃなくて、もっと大きなところで民藝が直面しているものとか、もっと今の普通の暮らしをしてる人たちに伝わることがあるんじゃないかな、っていうのが「みんげい おくむら」の出発点です。
辻:奥村さんも紹介されてますが、民藝運動では「少年民藝館」(外村吉之介)という分かりやすい本もありましたね。あの本私も好きです。
奥村:柳の本は非常に難解なところがあるし。具体的なものを離れて「論」になってしまってる部分は誰にとっても難しいですよね。それをどれだけ易しく伝えるかというところで書かれたのがあの少年民藝館です。実際の世界中のものを通して子供に分かるような表現で書いてるから、自分にとっても1つのバイブルです。民藝を生活に取り入れることで自分たちの心掛けが変わって、それによって生活がより良くなる…。
辻:最初の話に出てきた民藝の理念ですね。
奥村:それはいたずらにものを集めることじゃないんですね。僕からすると自分の大阪時代の経験でゼロが1になった瞬間にすごい変化がありました。店を始めた2010年の段階でも民藝って少し重心が低いもので。例えば家具を松本で揃えて民藝店から食器とか色んな物を買って、それだけで暮らそうとするとちょっと重い。
辻:確かに、今の時代には重たいです。
奥村:柳宗理(柳宗悦の長男、インダストリアルデザイナー)はプロダクトの人っていうのがあって、民藝本体は宗理さんとかプロダクト、無印(無印良品)に通じるようなものを受け入れられなかった。だけど僕らの生活はもうそっちにいってる。だからどんな比重で民藝を生活に取り入れるかは、人それぞれだと思うんです。古民家に暮らす人は民藝的なものを7、8割やるかもしれないけど、都会のマンションに住んでる人が民藝を揃えてもチグハグになる。どれだけ民藝を持ってるかじゃなくて気持ちの問題で。限りある資源の中から人の手が生活のための道具を作り出してることがすごく尊いことで、自分の生活の中に取り入れること自体がすごく意味のあることで、その比重がどれぐらいかはそれぞれの生活とか経済とかで変わっていくことだと思います。
辻:奥村さん自身はどうなんでしょうか?
奥村:僕が今、民藝において最も重要視してることは、その土地なんです。その焼きもの、その工芸がそこから生まれている理由。だいたい焼きもの産地って農業もやりにくいような土地で、そこから生まれる粘土でものを作って暮らしてきてる。決して恵まれた土地じゃないんだけど、何百年という歴史の中で地元にあるものを人間の頭や手の工夫で色んな形にしていったわけです。それがたまたま生活のための道具であったということで。だから僕が今、民藝の中ですごく大事にしているのは、その土地であったことをどれだけ表現できているか、なんです。
辻:ちょっと料理と似てますね。
奥村:そうなんですよ。ワインの言葉を借りると、いわゆる「テロワール」に近いようなね。民藝の条件の1つに廉価、一般の人が買いやすい、ってことがあるんですけど、それだったらとっくにプロダクトになってるわけじゃないですか。
辻:確かに。
奥村:でもプロダクトを否定した。それはどうしてかと言うと、安く売るよりも大事なことが当然あるからですよ。僕はそこに土地性、その土地をその土地の素材で表現してるということがすごく重要だと思っていて。実際、ここ10年ぐらいの民藝のものの値上がりを見ると、到底庶民のものではないですよ。
辻:そんなに値が上がったんですか。
奥村:そう。よく裏山で土を掘ってきて焼けば原価タダでしょとか、ガラス瓶を酒屋からもらってきて砕いて溶かしたら原価タダじゃないかって言う人がいるけど、冗談じゃない。そこに付随する作業、使うエネルギー、どれもが原価で、それをピュアにやればやるだけものすごいコストがかかるのに、あんまり顧みられない。民藝の人たちが苦しいのは、庶民のものだっていう考えに作り手自身が縛られているからなんですよ。
辻:民藝の人たちは多分その辺に使命感を感じてるんじゃないですか。
奥村:でもね、廉価であることを大事にすると、作る中で大事なことが抜けてくるんですよ。例えば薪窯を捨てるっていうのも1つの選択肢で時代の変化でね。薪窯から灯油窯、ガス窯。よりやり易い方向に向かってきてる人たちがいるのも事実です。
辻:じゃあ奥村さんが民藝のものを選ぶ基準は? オンラインショップでは何を売ってるんですか。
奥村:実際、お店を始めた時はプロダクトもやってたんですよ。それは自分の生活がそうだったから。どっちもいいっていうのを、自分のお店で表現したかったんです。
辻:基準の1つ目は自分ですか。
奥村:結局、自分の生活の中からしか見えてこないわけですよ。だから店を始めて7年目で子供が生まれたことで視野がだいぶ広がったんですけど。そうやってお店も当然変化していくけど、基本的にはやっぱり自分がまず中心にあります。そもそも「みんげい おくむら」って名乗ってますしね。
辻:2つ目は日々の暮らしね。
奥村:ただ心地が良いということだけではセレクトにはならないんですよ。プロダクトはよく考えられてて、誰の暮らしにも当てはまる最大公約数的なところに落とし込んでくんだけど、手仕事のものはそうなりきらないところが当然あるんですよね。例えば小鹿田焼(おんたやき、大分)の皿は重ねて焼くからどうしても深さが出るんです。これを飲食店に持ってくと「もうちょっとフラットだったら料理が盛りやすいんだけどな」って言われる。でもこれを重ねないで焼くと空間が余るわけです。窯の容積を無駄にする。手仕事である以上、誰かの生活にとってベストじゃないかもしれないけど、作る上での制約条件を僕らが受け入れてあげる方がいいじゃないですか。
辻:結局、奥村さんが選ぶ民藝はどこがポイントなんですか? 何が奥村さんのハートを掴むんでしょうか。
奥村:やっぱり基本的には土地性ですよ。それが1番大きい。それを外したら、個人作家さんのセレクトショップでいいわけですよ。土地性、その土だからできてくる形とか色とかね。
辻:それは旅が好きなのにも繋がってますか?
奥村:そうです。
辻:なるほどね。すごく可愛いのもあるし、骨太なのもあるし、どこを見て何を基準に選んでるんだろうって思ってました。
奥村:まあ可愛いのはね、どうしても入り口に必要ですから。
辻:私はずっと入り口の方にいるかもしれない。それで日本だけじゃなくて、中国とかアジアを旅してその土地の民藝を紹介する理由は何ですか。
奥村:その手の仕事を本当に生活で使ってる、生活自体が残ってる、ってことです。柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう、染色工芸家)さんが93、4歳の頃にお話を伺った時に「もう日本には生活がないんだから、民藝なんて言葉に騙されるな」「本来の民藝なんてもうないんだから、そんなところから早く脱却しろ」って言われたんです。いくら道具を作り出しても生活の実感がない、っていうのは本当で。僕らはそれをただお金で買ってるだけだから、結局SNSを意識した編集合戦になるわけじゃないですか。
辻:はい。
奥村:僕とすれば、その言葉に出合う前からアジアの僻地で電気が通ったかどうかって所でお金に頼らなくても100パーセント生きていける人たちを見てるわけですよ。動物を飼い、糸を紡いで服を作り、畑と家畜で食べるものは賄えて、明日この世界からお金が消えても自分たちの暮らしは続いてくみたいなね。
辻:それは強いですね。
奥村:でも僕らも3.11の時、1回それを考えたわけじゃないですか。電気がこなくなって火も起こせない。食料はコンビニも空になって。少しでも生きてる実感が必要だから都会の人たちも畑を借りたり。でも、それって道具だけじゃダメなんですよね。お金があって道具を自分の生活に編集するだけでは空虚な話なんです。ちょっと矛盾するけど、その心掛けがあったとしても、そこに生活がなかったら意味がない。で、そういうのを自分で見に行きたいし、見に行くことでその人たちの生きる力から何かをもらいたい。
辻:その人たちのエネルギーをまた仕事にフィードバックしていく。やりがいだらけですね。
奥村:そうです。リアルの売り場と僕がやってる売り場の違いは何かと言うと、インターネットの売り場はいくらでも情報を出せるじゃないですか、文字と写真で。それを読む読まない、影響を受ける受けない、は相手の勝手なんだけど、少なくとも僕としては伝えたいことを残していける。これがすごく大きいと思うんです。
辻:確かに。私は奥村さんの言葉で買い物してますね。
奥村:買い物の体験って面白くて、リアルの店に行ったからって1つのものをどこまで理解して買ってるか、ってことなんですよ。例えば見落としもあるわけじゃないですか。リアルだからって別に100を理解して買ってない。でも理解して買ってないからこそ、その先に面白さがあったりするんです。自分が気付いてない何かが届いてみたらあって、意外とこうだよね、みたいな。
辻:私はリアルショップが1番だと思ってるんですけど、それが一番良いわけじゃないと今初めて思いました。セレクトしてる私は店にいつもいるわけじゃない。それより、ちゃんと書いて伝えられる店主がいるオンラインの方がいい場合があるかもしれませんね。ここは勝負ですね。(笑)
奥村:そこは面白いところですよね。うちの場合、すごく大事にしてることの1つに、商品の写真を白バックでなんてことなく撮る、ってことがあります。いいイメージを作っちゃうと、届いた時「なんだ普通だなー」ってなっちゃうんですよ。そこで盛り上げた方が売れるかもしれない。だけど僕はやっぱり伸びしろが好きだから、写真なんかつまらなくていいんです。過不足なく写ってれば。
辻:それはさらに強敵ですね。それで中国の話になりますが、旅した中で1番気に入った場所はどこですか。
奥村:やっぱり中国では原点である貴州省ですね。暮らしが1番残ってる。隣の雲南省はとにかく豊かなんです。食材、山、水、土、どれも本当に素晴らしくて。貴州省の人たちは逆立ちしても勝てない。地形が暮らしにくいんです。例えばミャオ族の人たちはもともと北京に近いぐらい北にいたんですね。それがどんどん迫害されて逃げていって、最終地点が貴州の山の中だから、もう追っ手が来ないぐらい暮らしにくい場所なんです。米は作れない、塩も取れない。そういう中でものすごく工夫して生きてきたわけですよ。暮らしの知恵、生活道具、食文化の素晴らしさ。アジアの色んな国を旅した中で最もピュアかもしれないですね。
辻:なかなか簡単に行けそうな場所じゃないですね。
奥村:貴州はハードです。トイレ問題とか、ホテルの快適さとか。まあだいぶ変わったと思うけど。自分にとっては本当に心のふるさとですね。去年、雲南省に5回行ったんです。キノコの季節に合わせて4月から9月ぐらいまでに集中して。うち2回は途中か最後に貴州省に行ったらホッとするんですよ。びっくりしました。自分の本能に訴え掛ける何かがあるんでしょうね。「帰ってきた」って感じがするんです。
辻:貴州には何回ぐらい行きました?
奥村:20回は行ってます。1回の滞在は短くて1週間ぐらい。
辻:全部足すと1年くらい住んでる計算になるかもしれませんね。
奥村:去年は1年間で100日以上は中国にいたから、通算したら余裕で。それで生活が残ってる、っていうのをもう少し噛み砕くと、貴州には極端な話、日本の江戸時代ぐらいの暮らしが残ってて、それ以外の田舎は多分ほとんど日本の戦後なんです。日本は高度経済成長期が来て、柳の本に載ってる手仕事たちがどんどん消えていった。その局面に中国もいるわけです。
辻:消えていく中国の手仕事ですか…?
奥村:自分の本の3作目がまさにそこに通じるんですけど、柳宗悦から80年、90年の時を経て、「みんげい おくむら」が生まれた。そのポコっと抜けた間が今の中国にあって、自分は多分それを見てるんだと思うんですよ。
辻:貴州では何を買うんですか。
奥村:主に布関係です。それから布や民族衣装に付随する装身具、銀細工とか。それを追い掛けてたら、いつも布を買いに行く所の隣町に焼きものの産地があったんですよ。それも現在進行形の産地。まだ4代、100年ちょっとの。それも貴州のど田舎に漢民族なんです。
辻:それは珍しいことなんですか。
奥村:中国の焼きものの歴史を見ると面白いんだけど、江西省に景徳鎮という一大産地があるわけですよね。そこの技術を持った人たちが何らかの理由で各地に行ってるんです。招かれた人もいただろうし、半ば夜逃げみたいな人もいただろうし。そういった中でその貴州の田舎町にもわずか4代しか続いてない焼きものがあって、それが日本の民藝以上に民藝的で僕はめちゃくちゃ好きなんです。この産地が面白いのは、ろくろじゃなくて鋳込み型で作るところです。
辻:型で焼いてるんですね。
奥村:ろくろは酒瓶とかを男衆がいまだにしてるんですけど、型は女性の仕事で。型だと一日に何百個もできるんですよ。
辻:それだとすごく安く作れます。
奥村:そう。だけど、薪窯で焼いてる焼きものの良さはちゃんとあるんですよ。やっぱり日本は陶芸大国だから、産地が型の仕事を積極的に取り入れることに精神的タブーがあるんですよね。でも僕はこれがすごい民藝だと思うんです。だってこれ窯からの出し値が一枚20円とかですよ、この時代に。それをうちで1400円で売ってるんだけど、ほぼ輸送賃です。で、これが今駆逐されつつあって。貴州にも高速道路が延びて、もっと安い産地から味気ない焼きものが大量に入ってきてて、負けそうになってるんです。
辻:それでこっち側の話なんですが、日本で2000年代ぐらいから作家の自己表現じゃなくて人の暮らしをベースにした、もの作りが盛んになって、私たちは「生活工芸」と呼んでますけど、奥村さんからはどんなふうに見えますか。
奥村:生活工芸はすごい痒いところに手が届いてて、民藝でいう形とかの制約条件を軽く飛び越えたもの作りですよね。個人的にも三谷龍二さん(木工家)のものを含めてたくさん見てるし、生活工芸が好きな人のお宅なんかで見るとやっぱりよくできてる、って思うんですよね。すごくいい。
辻:マイナス部分も気にせず言ってください。
奥村:うん。やっぱり僕の追い掛けてるものは、しっかりと地球に根っこがあって、その根っこ故に重心の低さがあるんですよ。これは選ぶ人の好みの問題で、どっちがいいとかじゃないから。僕はあくまで根っこを張った側からのアプローチでいくし、辻さんたちはもの作りから人の生活に問い掛けていくし。で、買う人は自分の生活にうまくどっちも取り込んだら楽しいはずなんですよ。
辻:それで金沢での展覧会は、どんなセレクトになりそうですか。絵付けの器とお茶関係をリクエストした記憶があります。
奥村:はい。今回は染付ですね。比較的新しいものになります。とはいえ清の時代の終わりから中華民国、中華人民共和国が始まって割と最初の頃ぐらい。中国の歴史の中で大きな転換期にあった時代の工芸です。今回は染付なので磁器が多いわけですが、磁器で1番の産地といえば世界に名の知れた景徳鎮ですね。ここは皇帝のための官窯、庶民のための民窯の両方を持った産地なんです。古くから世界に輸出してるし、高い技術を持った人の中には皇帝のお抱えもいました。中国では民藝のような概念がなくて、工芸の美というのは時の皇帝に献上されるようなものが美で、庶民的なものの中に美を見出すということは伝統的になかったわけです。このへんののんびりしたものはいわばキワモノです。
辻:キワモノですか。民窯の中におおらかな絵を描く人たちがいたんですね。
奥村:その土地とか周辺で暮らしてる人たちの普通の生活道具っていうのは、こういうものだったんですね。景徳鎮にあまたある仕事の中で僕が抽出してるのは民藝的な概念を持ちつつ、美しいもの。
辻:この辺の民窯を奥村さんが選んでくるのは、やっぱりその時代のその土地の生活が垣間見えるからですか。
奥村:そうです。例えば器の表面に漢字が1字彫ってあるんです。あれは所有者の名前なんですよ。中国では古くから持ち寄りの文化があるんです。村の中でみんなでやる行事があって、そこに料理を持っていく時に皿の所有者が分かるようにしたんです。
辻:そういえば私が奥村さんから買った蓋碗にも1字書いてありました。持ち主の名字だったんですね。
奥村:中国でもここ10年ぐらい、柳の本が中国語版になったりして、民藝の概念がアンテナの高い人たちの間には伝わってきてます。若い人たちでセンスのいい人たちはみんな民藝を超越して坂田さん(「古道具坂田」店主の坂田和實、故人)の本を読んでます。坂田さんを知った人たちが、さらに民藝というところに来て、「これは我が国、我が地域にもいくらでもあるんじゃないか」って考えてる時期です。
辻:じゃあ最後の質問です。奥村さんにとって「ライフ」とは。
奥村:やっぱり旅です。みんなよく旅から何かを持ち帰るって話をしますけど、僕の場合は月の3分の2は外に出てますから、旅が日常なんです。例えば旅の朝に宿で3時間、次に売り出す商品の登録をしたりするんですよ。そうしないと売り上げが立たないから。だから旅をしつつ日常を崩さない。生活の基本がものを見つけるための旅にあって、帰ってきて家族といる方が非日常です。僕らはやっぱり動かなくなったら終わりだし。昔「動く距離に比例して面白いことができる」って言われたことがあって、実際そうだと思います。
辻:足で稼ぐ仕事、ですね。
奥村:絶え間なく旅をしてるからこそ見つかるものってありますね。その面白さがなくなると自分のお店なんかは簡単に飽きられちゃう気もするし。中国のものを持ってきてるからこそ見える日本の焼きものとかもの作りとか作り手の位置とか。これがあると自分にとってすごく健全にものが見れるんです。
辻:金沢の展覧会はなんとも軽やかな感じになるんじゃないかな。楽しみにしてます。
奥村:僕も楽しみです。荷造り頑張らないと。
<略歴>
奥村忍(おくむら・しのぶ)1980年、千葉県船橋市生まれ。慶應大学経済学部を卒業後、台湾やアメリカ、ベトナムなどを放浪。商社、メーカー勤務を経て、20代終わりの2010年にWEBショップ「みんげい おくむら」をオープン。国内外の工芸産地を巡りながら手仕事や旅、食に関する執筆も手掛ける。著書に「中国手仕事紀行」(青幻舎)。増補版に続く第3弾が今秋出版の予定。
<編集後記>
「旅を枕」の人なのに、慣れた手つきで和食を振る舞い、土地性に裏付けられた民藝の魅力を語る姿は、地に足のついた生活者のようで、そのギャップがなんとも不思議です。各地の料理人と行く次の中国ツアーではオオサンショウウオを食べるという話も刺激的でした。(鈴)
92nd exhibition
mingei okumura
2026.05.29 fri. — 06.28 sun.