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factory zoomer standard展 ご来店予約について

2025.06.19 news

factory zoomer /lifeでは、7/4(金)よりfactory zoomer standard展を開催致します。
ゆっくりと作品をご覧いただくために、7/4(金)12:00 〜 5(土) 15:00までのお時間につきましては、50分ごとの事前ご予約制とさせていただきます。こちらの日程にご来店をご希望のお客様は、下記をお読みいただき、お申し込みくださいますようお願い致します。

【 ご予約方法 】※必ず最後までお読みください。
ご希望の方はメール(store@factory-zoomer.com)にてお申し込み下さい。
お申し込み1件につき1名さまのご予約となります。
件名を【 ファクトリーズーマ展 来店予約 】としていただき、本文へ以下の内容をご記載ください。
多数のご応募の場合は抽選とさせて頂きます。

①お名前
②ご住所
③携帯電話番号
③ご希望の日付と時間 (第2希望まで)
A 7/4(金) 12:00 – 12:50
B 7/4(金) 13:00 – 13:50
C 7/4(金) 14:00 – 14:50
D 7/4(金) 15:00 – 15:50
E 7/4(金) 16:00 – 16:50
F 7/4(金) 17:00 – 18:00
G 7/4(金) 時間の希望なし

H 7/5(土) 12:00 – 12:50
I  7/5(土) 13:00 – 13:50
J 7/5(土) 14:00 – 14:50
K 7/5(土) 時間の希望なし

L 日程・時間の希望なし

【 定員 】
各回5名

【 予約受付期間 】
6/20日(金) 9:00~ 6/22(日) 24:00
※先着順ではございません。受付期間外のお申し込みは無効とさせていただきます。

【 ご予約確定のお知らせ 】
ご来店いただけるお客様へは、6月23日(月)にメールにてご連絡させていただきます。
お客様からのメールの返信をもちまして、ご予約完了となります。
ご予約いただけなかったお客様への返信は致しません。申し訳ございませんがご了承ください。
(必ず store@factory-zoomer.comからのメールを受信できるよう、設定のご確認をお願い致します)

【 ご注意事項 】
※必ずご来店のご本人様がお申し込みください。代理の方のお申し込みは、当選の場合でもご入店をお断りすることがございます。
※ご希望のお時間が重なった場合は抽選とさせて頂きます。ご希望に添えない場合もございますが、ご了承ください。


皆様のお越しをお待ち申し上げております。
factory zoomer /life

84th exhibition nakamoto junya

2025.05.24 /life - gallery exhibition

2025.05.30 fri.- 06.29 sun.
12:00→18:00

photo by suzuki shizuka




作家にリクエストはあまりしないようにしているのだが、今回は、中本さんとのやりとりで、中国茶の蓋碗を作ってもらうことになった。蓋碗はとても便利な道具で、茶葉を入れてお湯を注ぎ、ちょっと待って茶海にうつしたり、茶杯にそのままいれたりと、使うのも作るのも楽しい道具だ。蓋と碗の合わせが実は一番難しいところで、美しくピタッとハマる中国人作の端正な蓋碗が世の中には既にたくさんある中、わたしの好きな日本の作家たちの蓋碗は、みんな重かったり、大きかったり、ちょっと傾いていたりと、使い手を挑発してくるものばかり。そして、どこかに作り手の顔が見え隠れして可笑しい。もともとは中国の道具、私たちはそれを学び始めたばかり。ただ、中国の写しではない、日本の輪郭は既にボンヤリと見えているかもしれない。店主:辻和美    


●5/30(fri.) 31(sat.) 青山 APOCのパンケーキを中本さんの器で(詳細はこちら→

対談:lifeを探して⑩「妄想から生まれる健やかな器」

2025.05.19 interview

対談「lifeを探して」の10回目の相手は、自らの焼き物を「雑器」と呼び、日々の器を作り続ける陶芸家の中本純也さん。ぽてっとして温かみのある灰白色の磁器はどんなふうに生まれたのか。辻和美が和歌山・龍神村の山中にある工房を訪ね、制作に込めた想いを聞きました。
(対談は2025年4月中旬、和歌山県田辺市龍神村の中本さんの自宅・工房で行った。構成・鈴木弘、写真・沼田万州美)


辻:ズーマでの個展は前回が2022年だったから3年ぶり、これで3回目です。いきなり聞いちゃいますけど、どんな感じになりそうですか。もう気になって仕方なくて。
中:うーん、大きな変化はないかもしれないです。新しいものもあんまりないかも。でも金沢って昔から京都とはちょっと違った魅力があると思ってて、そういう所で自分の器を見てもらえるのはすごく嬉しいです。
辻:私はガラス作品の制作の他に、ギャラリーオーナーもやってるわけですが、作家選びは自分と「似た言葉」を持つ作家さんにお願いしてるんですよ。その言葉に共感してもらえるお客さんに集まってもらえたらいいなと思っています。金沢では、そんなに同じ言語の人は多くないのですが、ぜひ見てほしいと思っています。
中:そうですねぇ。古九谷とか金彩とか、雅な感じがします。でも古九谷の妖しさ、闇というか、あれは究極の美ですよね。京都と違った濃さがある。日本の花鳥風月の美意識にピタッとはまってる。これは僕の勝手なイメージかもしれないけど。
辻:絵付けもお皿一面ですものね。中本さんの世界観とは真逆ですよね。
中:でも好きなんですよ。すごい魅力的。あれは「ハレ」の器で、僕の作ってる雑器は「ケ」。世間一般で言う王道には参加できないから、自分の道を探さなきゃいけないんです。


辻:出身は大阪でしたっけ。どんな子ども時代でした? どうやって焼き物の世界にたどり着いたんですか?
中:河内長野の生まれです。大阪でも南の山の方。一言で言うと落ちこぼれでした。勉強はできないし、言われたこともできない。小中の頃は誰からも相手にされなかった。
辻:なんか私たちの時代って、できないことに対して厳しかったですよね。
中:太い大きな流れには入れなかった。でも高校の時にこれなら自分も行けるかもっていう道があったんです。私立の高校で、勉強はほとんどなくて、一日じゅう絵が描ける。そこを出た後は、印刷屋さんか看板屋さんに行けるっていう。授業はポスターカラーで平面の配色とか、レタリングとか。 印刷は写真製版が主流だったから写真の授業もありました。
辻:どこですか?
中:初芝高校。元の商業高校。僕はデザイン科だったけど、今はもうなくなったんですよ。そこでやっと自分も毎日学校に行って張りのある生活ができるようになったかな。
辻:そこから美大を目指したんですか?
中: 卒業の年になると、いろんな専門学校とか大学の説明会があって、コンピューターグラフィックの専門学校が楽しそうだったけど、結構親に負担かけてたから無理かもしれないなあって思ってた。そんな時、学校の図書館でなぜか分からないけど焼き物の本を見つけて、「あ、こういう世界もあるのか」って。何年か前の先輩が大阪芸大で陶芸やってるって聞いて、まあ受験ぐらいはいいかなと思って受けたら通っちゃった。
辻:土は初めての素材でしょ。
中:そうですね。平面から立体だし、とにかくその素材をマスターしないといけなかった。その大学の図書館も充実してて、古い映画まで見れるから、とんでもない遊び場というか。確かにね、大学は面白い授業もいっぱいあったし、4年間充実してましたね。


 辻:大学では どんな作品を制作していましたか?
中: 器だけじゃなくて、表現っていうか。2回生からは部屋をもらえるんで、しょっちゅう行って、なんかいろいろ作ってましたね。 ろくろもできるし。 粘土っていう素材で自分が履いてた靴をデッサンしたり。
辻:当時の陶芸は、土の可塑性とか、素材の可能性とかいって、どこまでアートに近づけるか追求してた時代ではありませんか? 中本さんはいつからそうじゃない方に向かうわけですか?
中:そうですね。活発にやってましたね。みんな。卒業した人たちが美術館に搬入に行く時は手伝いに行って、どんな仕組みになってるのか見てました。自分も公募展にぼちぼち出したりして。でもこれで行けるという手応えはなかなか掴めなかった。憧れたものの、あっち齧りこっち齧りの寄せ集めで。それで卒業間際の3月になって学生課に駆け込んで就職先を紹介してもらって、洗剤会社に1年半お世話になりました。
辻:いったん陶芸やめたんだ。
中:離れたんですよ、1回。その会社では洗剤のプラスチックボトルを作る部署があって、図面を書くことからです。また違う勉強が始まった感じでしたね。ドラフターもCADも一から上司に教えてもらいました。


辻:そして、その会社を辞めてから、誰かに弟子入りしたんですか?
中:いや、それが、南米に旅行に行っちゃった。大学の同級生だった理詠ちゃん(妻、陶芸家)を訪ねてコロンビアへ。そこは生活は近代的なんだけど、食器は土器なんです。こんなすごい国があったんだ、素晴らしいと思いました。これこそ自分が生きてく場所じゃないかって。こういう美しい生活って、学生時代に古九谷を見た時と同じ、「ウワー」って感じがしました。田舎に行くと水道も電気もガスもない中で、大きな瓶にトウモロコシを砕いたのを発酵させて、それを食べて生きてる。おばちゃんが土器を作って、市場で売って暮らしてる。生産と暮らしのつながりは日本の信楽を思い出しました。コロンビアには半年ほどいて、その後、メキシコ、グアテマラ、ブラジルとか回って展覧会を見たりしました。
辻:それで帰国してから窯を作った?
中:25歳ぐらいで日本に戻って、大阪で理詠ちゃんと住み出して電気窯を買ったんです。本当にこれで食べていくのか、何を売りにするのか、真剣に考えました。結局、生活と器作りを一致させる、この暮らしを追求するしかないと。日々作ることが自分の足元をつくっていく、これから先の時間をつくっていく。それが今の雑器なんです。
辻:龍神村との出会いは。
中:とりあえず関西のいくつかの村の村長さんに手紙を書いてみたんですよ。ぐるぐる探して回る前に。役場の担当者がたまたまこの近くの人で、土地を紹介してもらって。林業をやってる大家さんは、僕と同じ年頃の息子さんがいて、話を分かってくれて。それでここに決めました。 それと理詠ちゃんの幼馴染が大工さんで、最低限必要なものを書いた間取り図を持って相談に行ったら、基礎の作り方から、生コンを流すコツから、土壁のアイデアとかいろんなことを1日で教えてくれて。持ってった紙にいっぱい書き込んで、それがこの家を作る時の教科書、設計図になりました。


辻:一番最初にしたのは。
中:敷地にいっぱい立ってた木を切ってもらって、その木を整理してたら犬の散歩で通りがかったおっちゃんと知り合って。その人がまた大阪から移住してきた大工さんで、手伝ってくれることになったんです。
辻:すごい偶然ですね。
中:一緒に製材所に行って、どんな木を選んだらいいかコーディネートしてもらって。それで掘っ立て小屋で製材所から来た木を刻んでくれたんですよ。 予算がないのに「いいよ」って。その間に僕は地面を掘って基礎を作って、基礎ができたらこれで建つわっていう感じ。 4月に引っ越してきて、8月に棟上げ。とんとん拍子です。そこから土壁の下地を編むのに2カ月ぐらい。で11月、やっと土を塗ったかな。年明けに鉄骨を組んで1月から窯を作り出したんですけど、窯は最初から薪窯と決めてました。
辻:どうして薪じゃないとダメなの。
中:第一希望、薪。第二希望、なし。できなければ諦めて就職するつもりでした。そこに妥協はなかった。学生時代から結構、陶芸の産地とか作家さんの工房とか見てきたんですけど、薪窯は生活と一体なんです。ガスとか電気だと切り替えてる感じがする。自宅と会社みたいな。
辻:仕事と生活を一致させたかったんですね。
中: うん、目指してるのはそっちだったので。雑器を作るのと庭で野菜を作るのも同じ。それしかできない。それがガッチリ重なるのがいいなと思った。陶芸をやりたいというより生き方の中の選択が粘土だった。他の選択肢はないんですよ。


辻:初めの頃は磁器じゃなくて陶器を作っていましたよね。
中:茶色い焼き締めね。あれは「炻器(せっき)」。焼き上がった時が完成じゃなくて、その先がまたあるというのは予想してなかった。使えば一皮剥けるんです。それが美しい。
辻:なんでやめちゃったんですか。
中:焼き締めでは自分が目指す雑器が実現できなかったんですよ。なんか焼き締めは敷居が高いように扱われて、今みたいに見てもらえる場というか受け皿がなかった。焼く技術もすごく大変で作るのに時間がかかりすぎることもあって、これ以上続けるのは無理ってなった。
辻:どうやって切り替えていきましたか。
中:ここに来たのは31歳なんですけど、もともと30歳までにやりたい環境が整わなかったらすっぱり焼き物はやめようと思ってたんです。無理しすぎて体を壊したこともあったし。でも明日からやめるとして最後にやりたいことは何かって考えたら、朝鮮・李朝の白磁でした。売れるかどうかは別にして、とにかくやろうと。それで窯を作り直したんです。


辻:窯は焼き締めの時と白磁を焼く時では違うんですね。知らなかったです。
中:そのままでは使えないんですよ。たとえ使えても自分の思い描いた雑器とは違ってくる。薪窯は自分で規制しないと上品というか位が高くなっちゃう。雑器にならない。観賞用になっちゃうんです。
辻:薪窯だと付加価値が付いちゃうんですかね。
中:薪の力は凄いですよ。引き出しをうまく使い分けて調合しないとできない。油断してたら凄いところにいっちゃう。だから自分の着地点をしっかり知ってないといけない。
辻:李朝白磁も、もともとは雑器じゃないですか。今は美術工芸品として美術館に陳列されるようになっていますが。
中:貫禄ありますよね。雑器じゃないですよ。まあ安宅コレクション(大阪市立東洋陶磁美術館の中核)が特殊なんですけど。あれは普通の暮らしの中では見れない。でも李朝を作りたいんじゃなくて、健やかな、ややこしくない、華美じゃない、自然と溶け込むようなもの。韓国の焼き物とかアフリカの彫刻とか、どこか人工的じゃないもの。そういうのは日本や中国の焼き物にはない感じがする。土器に近いかもしれない。
辻:李朝時代のモノは、いわゆる作家が作ってるわけじゃないですものね。
中:名工はいたと思うんですよ。工房があって。王朝の窯もあったし。でも自由さというか、自然というか、人間だけ独立してあるんじゃなくて、何かと一緒になってるのってやっぱり最高に素敵というか。目指すのはああいう大きなものがいい。
辻:民族性もありますよね。韓国は大らかだし明るい。
中:物によっては螺鈿とか緻密なのもあるけど仕上がりはやっぱり大らか。中国みたいに人間離れしてないですよね。


辻:それにしても中本さんの切り替えはドラマチックですよね。白か黒か、0か100かはっきりしてる。
中:自分の時間は限られてるじゃないですか。目的地がなければ何もできないでしょ。今は焼き締めの時に実現できなかったことをちょっとずつ攻めてる感じ。やりたいことの視野が広がったような感じがします。
辻:まだまだ、白磁でやりたいことがあるのは素晴らしいです。
中:自分に飽きて辞めてく作家って多いんですよ。これからって時に何も作れなくなって。そういうの見てると切ない。
辻:モチベーションはどうやって保ってるの?
中:素敵だなと思ったものに自分がどうやって辿り着けるか。その道具が焼き物。とにかく自分だったらどうするかなと考えることの繰り返し。例えばファッション雑誌を見たら、安藤忠雄のコンクリート打ちっ放しの家が出てくるでしょ。そうしたら、そこでどんな人がどんな服を着て、どんな物を食べてるのか、その時どんな器を使ってるのか、妄想するんです。
辻:そういう想像、妄想が制作に繋がってくるんですね。
中:それが形になってくるんです。宿題ばっかり残ってます。
辻:でもたくさん作るけど、自分の作品に厳しいですよね。なかなかOKを出さない。
中:自分は才能ないし、センスないし、バランス感覚も悪いんです。完成度を上げるにはたくさん作った中から選ぶしかないんです。その方法しかない。妄想と選択です。ただそれだけ。


辻:金沢のお店には「ライフ」って名前を付けたんですが、ライフで思い浮かべることは何かある?
中:それが、高校の時の最後の作品が「ライフ」というタイトルでした。「キャラクター」を題材に何かのシンボル、メッセージを運ぶものを描くという課題で。テレビ番組を見ていて閃いたんですけどね。絶滅危惧種のキャラクターが学校の教室に生徒として座って人間との共存を学習してる絵を描いたんです。最初は「未来への学習」って名付けたんですけど、先生のアドバイスで変えました。
辻:それは何を言いたかったの。共存の大切さとか?
中:浅はかですよ。先生に呆れられるような。でも自分の気持ちだったかもしれない。キャラクターの中の1人が自分だったもしれないし。
中:あとライフと言えば、僕にとってはほとんど李朝の昔の生活かもしれない。どれだけ自然をどう取り込むか。人間だけじゃなくて、そういうものを取り入れた社会をどうつくっていくか。そうすればどんな家に住むべきか、どういう生活をするべきか、将来の形ができてくるかもしれないですね。そういう想像力って大事じゃないかな。
辻:最後に改めて金沢ではどんな作品が見られますか。
中:今時点で僕が思う、その生きる方向のちょっとは何か、新しい形ができてるかもしれないですね。まあ前回と比べて上手くなってるとか下手になってるかとか、そういうことは考えない方がいいかもしれない。
辻:作品が届くのを楽しみに待ってます。



<略歴>
中本純也(なかもと・じゅんや)1967年、大阪府河内長野市生まれ。大阪芸大工芸学科で陶芸を専攻。南米や欧州の焼き物作りに触れた後、大阪から和歌山に移住し、1999年から龍神村の自宅・工房で暮らし周りの器を中心に制作。

<旅のメモ>
金沢から龍神村まで片道450キロの道のりは、休憩を含めて7時間半のロングドライブ。昼は岸和田SAのストライク軒で和歌山中華そば。夜は中本家で豚のココナツミルク煮、庭で採れたカラフルな野菜のサラダなど理詠さんの手料理を中本さんの器でご馳走に。日本3美人の湯という龍神温泉に泊まり、翌日は京都に寄って李青、KAFE工船、ARTS&SCIENCE、Kit、まるき製パン所をハシゴしてから帰沢。

<編集後記>
一般的な磁器のイメージとは逆方向の、あの大らかで肉厚な器たちはどこから来たのか。木立に囲まれた半ばセルフビルドの家と野菜やハーブが育つ庭を見て合点がいきました。中本さんの焼き物は美しい暮らしの実践なのだと。「現代の民藝」。そんな言葉が浮かびました。(鈴木)




84th exhibition

nakamoto junya

2025.05.30 fri. — 06.29 sun.
●5/30(fri.) 31(sat.) 青山 APOCのパンケーキを中本さんの器で(詳細はこちら→

photo by suzuki shizuka


   

6月のお休みのお知らせ

2025.05.19 calender

factory zoomer /life 6月のお休みのお知らせです。
5月30日からは日々の器として欠かせない中本純也さんの展覧会がスタートします。初日・2日目に開催の中本さんの器を使ったAPOCのパンケーキの会もご参加お待ちしております!(パンケーキは予約優先)

6月  3日(火) 定休日
    4日(水) 定休日
   10日(火) 定休日
   11日(水) 定休日
   17日(火) 定休日
   18日(水) 定休日
   24日(火) 定休日
   25日(水) 定休日
   30日(月) 展示切り替えのためお休み
open time 12:00ー18:00

■5/30(金)〜6/29(日)中本純也展
■6/8(日)、28(土) 月とピエロのパンの日

teeor cafeは週末(金曜〜日曜)の営業となります。(6/13,28,29はカフェ営業お休み)
6月も皆様のご来店を心よりお待ち申し上げております。

中本純也さんの器で楽しむ APOCのパンケーキのお知らせ

2025.05.8 event

5月30日(金)より、factory zoomer /lifeでは、薪窯で磁器の作品を制作されている中本純也さんの展覧会がスタートします。
優しくおおらかで、どんなお料理も受け止めてくれる中本さんの作品。factory zoomerのお客様にもファンの方が多い作家さんのお一人です。

展覧会の開催にあわせ、青山のパンケーキ専門店「APOC」の大川雅子さんがいらっしゃり、中本さんの器で楽しむパンケーキのイベントを開催いたします!
ぜひこの機会にご来店ください。



〈中本純也さんの器で楽しむAPOCのパンケーキ〉
日時:5月30日(金)
   ①12:00 (満席) ②13:00(満席) ③14:00 ④15:00 ⑤16:00
   5月31日(土)
   ①12:00 (満席) ②13:00(満席) ③14:00 ④15:00 ⑤16:00
料金:3500円 税込(パンケーキ2枚+ドリンク)
お子様用セット(未就学児童) 2000円 税込(パンケーキ1枚+ドリンク)

*ご予約優先
ご予約・お問い合わせは、factory zoomer /life (076-255-6826)まで

●お願い
*現金でのお支払いにご協力お願い致します
*お席が限られておりますので、キャンセルはご容赦ください。キャンセルの場合は代理の方のご参加をお願い致します。

83rd exhibition sankaku

2025.04.15 /life - gallery exhibition

2025.04.18 fri.- 05.25 sun.
12:00→18:00

photo by suzuki shizuka




人生ユーモアが大事。泣いてクヨクヨするのは簡単だけど、なんかひとつ面白いことを探そうよ!
笑えたら大変なことも何とか乗り越えられる。沖縄の三人のジャンボな女たちは口々にそう言う。まあ半世紀近く生きてくれば、みんななんだかんだあるもんだが、いつも明るい彼女たちの言葉は、妙に説得力がある。楽しい柄のインド綿をパッチワークしたり、フリフリを付けたり、「こんな服は派手過ぎて無理だよ。着れないよー」と言いながら、勧められるままに、袖に手を通すとたちまち笑顔ふくらむ。夏だから、いっちょ、行ってみるかい。インド綿で作られたSANKAKUの服は、ムシムシした日本の夏には欠かせない、夜洗って朝には乾くという便利もの。人にどう見られるかより、自分が着て楽しいかという服選びの大事なことを思い出す。店主:辻和美    


●こちらのURLよりSANKAKUさんのインタビュー記事をご覧いただけます
https://factory-zoomer.com/interview/

●4/18(fri.)-20(sun.) 沖縄 宗像堂さんのカトルカール、シークワーサーソーダ

対談:lifeを探して⑨「沖縄発、元気が出る服」

2025.04.11 interview

対談「lifeを探して」の9回目は、インド綿を中心に涼しくて着やすい、そして何より着ていて楽しい服で人気のSANKAKU。4月からの展覧会を前に、沖縄で暮らす女性3人組に会うため、辻和美が南の島へ飛びました。
(ミカ=山城美佳、ロミ=新垣裕美、サン=大城さゆり、対談は2025年3月中旬、沖縄市にあるミカさんの自宅アトリエで行った。構成・写真 鈴木弘)



辻:こんにちは〜。ひさしぶりです。元気にしてた? ついに沖縄に来ちゃったよ。今日はいろいろ根掘り葉掘り聞いちゃうね。まずはSANKAKUの始まりから教えてください。どんな出会いがあって、どうして洋服を作ることになったんですか。名前の由来はどこから?
ロミ:最初は私が暇で時間を持て余してて、ミカちゃんとほぼ毎日のように会ってた時期があったんだよね。週に6日ぐらい会って遊んでた。
ミカ:そう、鎌倉と逗子にあるchahat(チャハット)さんが、布展を沖縄で開催していて、そこに行ってそれぞれ好きな布を買って自分の服を縫うところからだよね。
辻:3人で行ったの。
ミカ:別々に。
ロミ:買うのは別々だけど最初はミカちゃんと一緒に服作りをしてた。
ミカ:ちょうど子どもが生まれて授乳の時期だったけど着る服が意外となくて。じゃあ自分で作ろうと思って。たっぷりした服なら(赤ちゃんを)がばっと中に入れちゃって授乳できて、ケープもいらないし。
辻:服って作ろうと思って作れるものなの?
ミカ:うちは母がもともと洋裁をしてたから身近に見てた。中3ぐらいからかな、教えてもらいながら服を作ってたの。
ミカ:実はその頃、親に内緒でガレージに家財道具を運んでフリーマーケットをしてた。あまりに暇だったし、お小遣いも欲しかったから。それがある時バレて、売るものがなくなった時、ちょうど内地の学校に行ってた(姉の)サンちゃんが帰ってきて、一緒に変な帽子を作って売ったりしてたの。
辻:何歳ごろの話?
ミカ:中3か高1か。
辻:わーませてる。
サン:私が20歳ぐらいだった。



辻:ロミちゃんはどんな感じで?
ロミ:私も体が大きいから自分の丈に合う服がなかなかなくて、自分サイズの服をよく作ってた。20代の頃から。うちも祖母が洋裁の先生で、母も洋裁学校に行ってて、子供の頃は服を作ってもらってた。そんなこともあって自分でも作ろうかなと。結婚で沖縄に来ることになって、ミカちゃんと出会って、サンちゃんも一緒に作ることになって、自分たちで着るものを縫うようになったよね。
ミカ:「あ、それいいねー」「どうやって作ったの」なんて言いながら作ってるうち、欲しいっていう人が出てきて、roguii(ロギ、自宅・カフェ)で並べてみようかって。
辻:カフェに並べたんだ。私も前に展覧会させてもらったわ。懐かしーい。そん時は、何点ぐらい出したの?
ロミ:最初は20点ぐらいだったかな。
辻:結構作ったね、んで、サンちゃんはすぐ縫えたの?
サン:私は洋裁の専門学校のパターン科に行ってて、1ミリでもズレたらダメみたいな世界で厳しく教えられたから、服作りって大変だなって思ってた。卒業した後は縫ってなかったんだけど、2人が自由に縫ってるのを見てなんか楽しそうだなーって。



ロミ:最初、サンちゃんが言ってる意味が分からなかったもん。
サン:2人みたいなほうが楽しく作れて、自分の体に合わせて作れるんだって発見した。学校ではもっとカチっとしたものを作ってたし、課題が多くて毎日忙しかったからなんか嫌だなって思ってたけど、そうじゃないところから入ったら意外と楽しいんだなーって。
辻:サンちゃんは、ガチなやつだったんだね。でも2人のその「楽しさ」が買う人に伝わってくる気がする。それで20着はすぐ売れちゃったの?
ミカ:そう、売れた。売れた中の1着をロミちゃんのお友達が着てるのを見たfog(フォグ、東京)さんが「うちでやってみない?」って声を掛けてくれたんですよ。それまでSANKAKUっていう名前もなかった。何か恐れ多いと思ってちょっと迷ってたんだけど、1年後にまた「やらない?」って言ってくれて、じゃあやろうかと。
ロミ:作った服を着てfogさんに行くと「買いたい」って言ってくれて、本当に買ってくれたりして。「うちでやってよ」って、2年ぐらい会うたびに言ってくれて。最初は冗談だと思ってたんだけど、だんだん本当にやってもいいのかもと思うようになって、それで2人に声を掛けたんだよね。
ミカ:40代でのデビューだよね。名前は最初、大きい3人だから「ジャンボ」がいいんじゃないかとか。挨拶みたいな名前で「こんにちは」の意味だし。
ロミ:ジャンボは絶対やだった。
ミカ:SANKAKUって思いついたのは多分、旅行中。3人でやるし3つの辺だし、あーいいじゃんって。
辻:表記のイメージは最初からアルファベット? それともカタカナ?}
ミカ:三角定規を思い浮かべたから、ひらがなとかカタカタとか考えなくて、ビジュアルから入った。それでアルファベットの大文字がスッキリするねって。
辻:最初の展覧会はどうだった?
ミカ:無名だったからインスタを始めて案内したら初日に人が並んでて驚いた。誰も来ないかもと思ってたのに20人ぐらいいて何でこんなに?って思った。
辻:それが何年ぐらいでした?
ミカ:2016年。春だった。
辻:何点ぐらい出したの。
ミカ:100点ぐらいかな。最初は少なかった。結構スカスカだった。
辻:作り方で特徴的なのは、3人がそれぞれ作るのが面白い。
ミカ:みんな自由。
ロミ:全てひらめき。デザイナーがいるわけじゃないし。
サン:「作ってみた」って感じ。



辻:何枚か作ったら集まるの?
ミカ:最初はミシンを並べて3人で作ってたんだけど、おしゃべりばっかりになって全然進まないの。効率が悪いから別々にやることになった。
ロミ:展覧会が決まってからは特に作らなきゃいけないから。別々に集中して作るようになったね。
ミカ:持ってきた時に「いいね」とか「また違うの作ろう」とか言い合って。
辻:3人が持ち寄った時に「これはダメ」とか「違うんじゃない」っていうのはないの?
3人:ない、ない、ない。
ミカ:自分は着なくても、誰かが着たら素敵って思うことがある。すごい似合う人が着たら急にキラキラして見えることがよくある。。
サン:自分が作ったものじゃない方がよく見えたりね。
辻:じゃあブランドの定義は。3人の誰かが作ったらそれはSANKAKUってこと?。
ミカ:あんまり固いことは言わない。
ロミ:布は一緒に見に行って買ったりするよね。
サン:買った布を途中で入れ替えたり。
ミカ:10メートルの生地なら3~4着作れるんだけど、自分が地味なの作ってたら明るいのが羨ましくなったりするから。



辻:生地はどこで手に入れるの。
ロミ:大体chahatさん。東京に行った時に生地屋さんを見たり、ネットで買ったりもするけど。まず3メートルぐらい買って試して、気に入ったら追加で買うかな。
辻:今回の金沢の展覧会が決まって一番最初にやったのは何。
ミカ:新作を作ると言っても、その時にすぐ欲しい布が手に入るわけじゃないから、基本的にはあるもの、手持ちの布から作るの。
辻:絵描きが手元に絵の具のチューブを持ってるみたいなものね。
ミカ:飽きて使いたくないなと思ってた布でも別の新しい布と組み合わせると良かったりするし。
ロミ:「金沢で5月」だから何にしようかなって考えて。私は思い付いたものから作っていく。
ミカ:前回、金沢ではパンツがよく売れたから、パンツを多めに作ろうとか。それならブラウスも欲しいよねって。
辻:それぞれが作ってからどこかで擦り合わせしていくわけ?
ミカ:どういうの多めに縫ってるかとかね。2人がこんなのなら自分はこうしようとか。
辻:へー、面白い。阿吽の呼吸って感じだね。グループで作るときって枚数を割り当てないと出来上がってこないんじゃないの?
ミカ:ノルマになると急にやる気がなくなるの。
ロミ:生地見て、「これパンツにいいな」とか決めることもあるし。
ミカ:やりたくてやってたことが、やらなくてはいけないことになったら嫌になりそうだから。
サン:厳しい関係じゃないのが、SANKAKUのいいところかもね。
ミカ:すごく目の粗いザルというか。
辻:その自由で、いい意味での緩さがあることがお客さんに伝わるんだと思う。
ロミ:お互いに信頼感があるから。誰かが何かの役割を果たしている、そのバランスがいいんだと思う。



辻:じゃあ作る時に大切にしているのは何。
ミカ:見に来てくれた人や買ってくれた人が「嬉しくなる」のがいい。着てて、後で「あ、ここ、こんなことしてある」とか「ポケットが違う」とか見つけたりして楽しめる。それを気に入ってくれたら嬉しい。
ロミ:やっぱり着ていて楽しそうなもの、ハッピーになるものがいいかな。着やすさも大事だし。
サン:2人と同じ(笑)。来る人もそういう感じで買ってくれてると思う。最初、ポケットは1つだった。右だけとか、左だけとか。
ミカ:技術的に難しかったからね。2年目にポケットが両方にあるのを見て、お客さんが「あ、2つあるー」って驚いてた。そういう反応があるからまたこういうの作りたいって思う。
ロミ:お客さんに成長させてもらってます。
辻:作って納品で終わりじゃなくて、そういうお客さんと話す時間も大事?
ミカ:年に1回でも2回でも、そういう時間があると違う。普段、自宅でミシンやってる時って孤独じゃないですか。どういう人が着るのか分からないまま作るより、やっぱりお客さんの顔が見えた方がいい。
ロミ:お客さんが着てる姿って見てみたい。
サン:着る人が着ると、急に服が都会的に見えたりね。
ミカ:売れ残ったものもちょっと手を加えたり加えなかったりして、ずっと出し続けて、似合う人に巡り合って旅立っていくとすごく嬉しい。
辻:展覧会の後に何か付け加えるのも面白いやり方だなあ。
ミカ:人が着てるのを見て「ここはこうした方がいいな」とか思ったりして。帰ってきてからまた直したり。フリルを付けたら可愛かったり。
辻:自分で作った服の直しは自分でするの? 他の2人が触ってもいいの?
ロミ:「やっとくね」って言って付けることもある。
ミカ:誰かがやってくれるとむしろありがたい。
辻:その3人の呼吸が凄いよね。普通、自分の作品は触られたくないんじゃない? デザインが変わるわけだし。
ロミ:誰かが手を入れると何かミラクルが起きるんじゃないかって思う。だから全面的にお願いしたい。



辻:うちは基本的に器のギャラリーだけど、SANKAKUさんの服を楽しみにしている人が多いんですよ。
ミカ:金沢は沖縄より暑いかも。
辻:湿気が多いから。だからすぐ乾く服は夏の金沢に欠かせないんです。
辻:それで新しいお店は「ライフ」って名付けたんだけど、ライフという言葉から思い浮かべることは何かある?
ロミ:日常。日常にSANKAKUがあってよかったなーって。SANKAKU and life. 名前聞いた時、すごい素敵だなーって思った。
辻:30代で作る店じゃないし、直球のネーミングがいいかなと。4月6日にオープンしたからちょうど1年になる。
ミカ:SANKAKUは1周年企画だ。
辻:いっそ「1周年記念」って銘打ってやる?
ロミ:うん、めでたい。
サン:なんかユーモアにできる力はいいね。笑えたら大変なことも何とか乗り越えられる。真面目になったら自分も疲れちゃう。
ミカ:泣くことは簡単だけど、面白いことも中にはあるから、そっちを見た方がいいし、泣いたって何も出来ないし。
辻:なんかジーンとくる。
ロミ:ライフ=修業。人生ユーモアが大事なので、それを笑いに変えて生きてる。感情の揺れとか、さまざまな出来事とかあるけど、SANKAKUが救ってくれたところがある。バランスよく働いている。
辻:自分たちの手で作れる範囲で作ってるからいいのかも。服作りって人気が出るとどんどんデザイナーの手から離れていくでしょ。
ミカ:前に工場で作る話があったけど、うちのお客さんはそれ欲しいかな?
ロミ:魅力がなくなっちゃうよね。生地合わせの楽しみも無くなるし。
サン:自由で伸び伸びしたところが薄まっちゃいそう。
ミカ:採算を考えると同じものを何枚も作ることになるし。そうなるとやりたいことじゃなくなるから、やらないでおこうと決めた。



辻:じゃあ最後の質問。今回は金沢でどんなものを見せてくれるんでしょうか。
ミカ:金沢って都会でキレイでしょ、品があるっていうか。そんな街に似合う感じにしたい。(笑)
ロミ:ユーモアと品のバランスかな。
ミカ:一枚生地とパッチワークと作ってるけど、そんなに奇抜じゃないもの。日除けになるし、クーラーの部屋でもいいかなーって。あとパッチワークのバッグも作ってる。
ロミ:ワンピースのほかサロペット、アシンメトリーな羽織もあるよ。
辻:(ハンガーにある服を見て)あ、ウシがいる。
サン:前の展覧会の時「ウシ」「ウシ」って言われたから。
辻:あ、すごい。トラもいる。
ミカ:ウシの次、今度はトラがくるかな? 


<略歴>
SANKAKU 山城美佳(1975年、沖縄市生まれ)、新垣裕美(1973年、東京都生まれ)、大城さゆり(1970年、沖縄市生まれ)の3人による洋服制作ユニット。2016年から活動。インド綿を中心に「涼しく着やすく楽しい服」を制作し、地元沖縄をはじめ、東京、台湾、金沢などで展覧会を開催。さまざまな色や柄の生地を組み合わせたカラフルな服で女性ファンの支持を集めている。

<旅のメモ>
小松から約1400キロ、2時間半のフライトで着いた那覇空港では色とりどりのランがお出迎え。ホテルに向かう途中、古民家居酒屋「なんじぁぁれ」(宜野湾市)で新鮮な那覇マグロ、もずくの天ぷらと初めて出合う。2日目は「麺家丸翔」(うるま市)でカツオだしの利いた沖縄そばの旨さに感激し、取材後は「あしびJima」(宜野湾市)でグルクンの唐揚げ、どぅる天(タイモの天ぷら)など滋味豊かな沖縄料理で打ち上げ。

<編集後記>
女3人寄れば「姦(かしま)しい」なら、洋服好きの明るく元気な4人が集まったらどうなるか。編集はもはや不要(不可能)です。聞き取れた範囲で言葉を拾いました。ほぼフルバージョンで4人のやり取りをお届けします。(鈴木)




83rd exhibition

sankaku

2025.04.18 fri. — 05.25 sun.
●4/18(fri.)-20(sun.) 沖縄 宗像堂さんのカトルカール、シークワーサーソーダ

photo by suzuki shizuka


   

4月のお休みのお知らせ

2025.03.27 calender

factory zoomer /life 4月のお休みのお知らせです。
みなさまお待ちかねのsankaku展がはじまりますよ!!
ぜひ楽しみにお越しください。

4月  1日(火) 定休日
    2日(水) 定休日
    8日(火) 定休日
    9日(水) 定休日
   14日(月) 展示切り替えのためお休み
   15日(火) 定休日
   16日(水) 定休日
   22日(火) 定休日
   23日(水) 定休日
   29日(火) 定休日
   30日(水) 定休日
open time 12:00ー18:00

■3/21(金)〜4/13(日)岩田圭介展
■4/18(金)〜5/25(日)サンカク展
■4/12(土)、27(日) 月とピエロのパンの日

teeor cafeは週末(金曜〜日曜)の営業となります。
4月も皆様のご来店を心よりお待ち申し上げております。

対談:lifeを探して⑧「自分の『観たい』を形に」

2025.03.16 interview

対談「lifeを探して」8回目の相手は陶芸家の岩田圭介さん。一見武骨のようで温かく、遊び心や色気まで感じさせる作品はどうやって生まれるのか。創作の源流と展開に迫ろうと、辻和美が福岡県福津市の工房を訪ねました。(Tは辻、Iは岩田。対談は2025年2月末、福津市の自宅兼工房で。構成・鈴木弘、写真・沼田万州美)



T :岩田さんは彫刻科の出身ですが、どうして陶芸の道に進んだんですか。今更ながらの質問で恐縮なんですけど、まず始まりから教えてください。
I:もともと陶芸をやろうと思って彫刻に行ったんですよ。
T :えっ、そっちでしたか!それは意外でした。
I:父親が美学の先生をやってて、子供の頃からよく小鹿田焼(おんたやき)とか近くの窯まつりなんかにハイキングがてら連れて行かれたんです。育った添田町は炭鉱町で夜番を終えた炭鉱夫が朝から角打ちで酔っ払ってたりする荒っぽい所でした。それで窯まつりに行くと、むしろを敷いてすだれで陽を避けながらコーヒーカップの取手なんか付けてる。すごくのんびりした風景が広がっていて、いい暮らしをしてるなあと憧れました。中学ぐらいの頃から焼き物の世界に行きたいなと思ってました。
T :でも陶芸をやるなら高校の窯業科とか大学の陶芸専攻とかもあるのに、どうして彫刻科を選んだんですか。岩田さんの作品には陶芸だけ勉強してきた人には出せないような、彫刻を学んだからこその魅力を感じるんです。ワンクッション置いたから良かったのかな。
I:うん。いきなり焼き物やって誰かに弟子入りしてたら全然違ってたかもしれない。


T :瀬戸の河本五郎さん(故人)に弟子入りしようと思ったのは何かきっかけはありましたか?
I:大学の4年、卒業する年にたまたまチケットをもらって行った現代工芸展で五郎さんの仕事を初めて見たの。それで「ああ面白いな」と思って。
T :すごく彫刻的な作品ですよね。器屋さんと言うよりも。
I:そう。色絵でバアーっと描いたりね。今まで考えてた焼き物とは全然違ってた。ここにあるのもそうだけど。
T :それですぐ弟子になったんですか?
I:どうすれば弟子入りできるか、焼き物の先輩に相談したら、とりあえずどこかの専攻科であるていど基礎を覚えてから頼みに行った方がいいだろうと。それで多治見の専攻科に行ったわけ。1年のコースが終わる頃、頼みに行ったんだけど最初は断られた。当時、五郎さんの所には弟子が3人いて。もうちょっと粘ってみようと思ってるうち弟子の1人がインドに行って、帰国後も工房に戻らないと。それで先生から「もう1回来なさい」って声を掛けてもらったの。
T :そこでの修業は何年ですか。
I:4年半。土の粉を砕いたり、窯の作品、湯呑みのボディーを作ったり。毎日、それの繰り返し。
T :轆轤(ろくろ)で?
I:粘土の板。たたらで作った。そればっかりだったな。大きな仕事を手伝う時もあったけど。


T:独立しようと思ったのは、何か仕事に手応えを感じるようになったからですか?
I:もうじき30歳だったしね。先生の所にいる間も自分の作品を作って陶芸展に出したりはしてて。それは自由にやらせてくれた。その頃、瀬戸の陶芸協会展に小さな花器を出したら初めて1個売れた。そういうのもあったかな。
T:30歳での独立は怖くなかったですか?
I:怖くはなかったね。ダメならバイトやりゃいいやと思って。
T:それで実家に戻って窯を作ったんですね。作品はどこで売ったの?
I:最初の窯はガス窯だった。九州では「窯開き」って言って、自分の工房の一角を展示室にして、そこで見てもらって買ってもらうの。この辺の焼き物産地はみんなそう。知り合いも来てくれるし。それでなんとか食える程度にはなった。
T:それからの、作家としての転機は何だったんですか。
I:東京の赤坂に乾ギャラリーと言う所があって、元は名古屋にあって五郎さんの所にいた時にしょっちゅう出入りしてて、そこのおばちゃん(オーナー)が仕事を見てくれてて「そのうち個展やってね」って頼まれて。結婚した後だから、32歳だったかな。それまで博多では2人展をしたことはあったけど、個展は初めてだった。「納品書ないの」って聞かれたけど、何しろこっちは初めてだから納品書の書き方も何も知らなかった
T:そうやって東京に出て、だんだん全国区の作家さんになっていったんですね。
I:乾でやった時におばちゃんに「こことここ回って来なさい」「作品持って挨拶しておいで」って何箇所かギャラリーを紹介されたの。その時は桃居(西麻布)は行けなかったんだけど、二つ三つ回ったらサボア・ヴィーブル(六本木)でコーナー展をやってみようかという話になって。やってみたら上々に売れて「あ、行けるな」と。その頃からかな、なんとかやれると思うようになったのは。


T:岩田さんの展覧会と言えば、Zakka(表参道)というイメージが強いんですけど、どんな出会いがあったんですか。
I:眸さん(吉村眸、Zakkaオーナー)が来たのは早かった。お店のオープン前だった。美智子(岩田美智子、妻、造形作家)の同級生のお姉さんが眸さんと仲良しで、そのツテで興味を持って添田の工房まで来てくれて、乾の個展も見てくれて。その頃、自分はいわゆる「美術工芸」的な器を作ってたんだけど、眸さんのお店に行ったら置いてある作品がカッコいいの。哲平ちゃん(小野哲平)とか村木さん(村木雄児)とかね。ちょっとショックだった。それで眸さんが「こんなの作って」って言っていろいろ教えてくれた。工芸の器とは全然違う世界だった。
T:生活者目線だから全然違いますよね。それでZakkaで展覧会をするようになったんですか。
I:割と早かったと思う。次第に常設で定着してきたので個展しようかって話になった。
T:岩田さんの代表作の急須もZakkaとの付き合いから生まれましたか?
I:カフェ部門を作るから大きめの湯呑み3、4杯分が入るような急須を作れないか、って言われて。それまでやったことがないから最初は作り方が全然分からなかった。とにかくやって見たら形が崩れて穴が全部埋まってしまって「え、何」って感じ。それで哲平ちゃんに電話して聞いたら「そんなことも知らないの?」って驚かれた。急須は当然、内側に薄い釉薬を掛けるんだよ。穴はフッって息を入れて。それでようやくできるようになった。
T:それで1日1個は絶対に作るようになったんですか?
I:何回か作ったら急に売れ出して注文に追い付かなくなって、それでも、頑張って、1日3個作ると、嫌になって「もういい」と思うようになった。苛々するぐらいなら1日1個にしようと決めた。そうすると、ストレスがなくなって、もっと時間をかけて丁寧に作れるようになった。今は1日1個のペースが丁度いい。
T:急須からのバリエーションで丸い片口も生まれましたよね。ズーマでもミルクピッチャーとしてよく使わせていただきました。あと、最近の作品は薪釜のモノもありますよね、窯を薪でたくのと電気で焼くのと、作るものにどんな違いがありますか?
I:土を変える。それだけ。
T:それだけ? 仕上がりが違わないですか? 表面のテクスチャーとかのことです。薪では偶然性があって、電気焼成はコントロール可能に見えるんですけど。

2021年12月 穴窯の窯出しを見学させていただいた
2021年12月の穴窯の作品


I:大体そんな感じ。電気でも微妙には違うんだけども、ほぼ狙ったものを作ることができる。穴窯はやっぱり、土が全然違うし、置く場所によっても仕上がりが違ってくるから、予想以上のものになったり、ならなかったり。薪の作品はこれからも作りたいと思う。
T:岩田さんが作品作りで大事にしていることってなんですか?
I:手を抜かないこと。時間に追われて慌てないこと。価格なども含めて広い意味で誠実であること。あとは、自分が観たいものを作ることかな。
T:いやいや、それは身に沁みますね。岩田さんはゼロから形を作れる人だと思うんですけど、若手の古いモノの写しの作品については、どう見ていますか?
I:まあ、いいんじゃない?(笑)
T:私もよく古い陶器の形をガラスに写すんですが、やはり、ゼロから作れる作家に憧れますね。
I:まあね。キム(キムホノ、瀬戸)さんとかね、その典型だけど。見ててもはるかに面白い。写しをする人は器用だよね。
T:何かこれから挑戦したいことはありますか?
I:5月くらいに小さな電気窯を購入するんです。楽焼をちょっとやってみたいと思って。もう10何年もやってないんだけど。
T:その楽焼は、パリとかで作っていましたよね。一個持ってますよ。では、今回、金沢ではどんな作品を見せてくれるんでしょうか。
I:割とカラフルなものが多いかな。デカルコマニー(転写画)のね。佐々木美穂さんとの共作の碗。急須も出すよ。
T:楽しみです。会期中、カフェでは岩田さんの作品でお茶を飲んだり、お菓子を食べたりしてもらおうと思っています。


T:最後の質問です。ズーマの新しいお店には「life」という名前を付けました。lifeには命とか日常とか生活とか大切なものとか、色んな意味があるんですけど、岩田さんはlifeと聞いて何を思い浮かべますか。
I:うーん、分かんね。・・・まあね、思い付きだけで生きてる人間だから。やりたくないことはやらない。嫌な事からは逃げる。それが人生。


<略歴>
岩田圭介(いわた・けいすけ)1954年、福岡県添田町生まれ。日本大学芸術学部彫刻科専攻・卒業。多治見工業高校窯業科を経て表現としての陶磁器を追求した瀬戸の河本五郎氏の元で学ぶ。1983年、郷里の福岡で独立。国内をはじめ台湾、韓国、フランス、アメリカなど海外でも作品を発表。朝日陶芸展、焼き締め陶公募展などで受賞。2025年は金沢の後、蒲郡、奈良で展覧会を予定。

<旅のメモ>
初日の昼は福岡空港から車で約1時間の岩田家からさらにドライブして着いた宗像市の「こなみ」で。製麺所直営のうどん店は地元の食材を使った季節のうどんと昼呑みが楽しめる鄙の名店。夜は博多に戻って和食の「ようは」とミントを水耕栽培するピンクライトが怪しげな「MINT BAR HACCA」へ。翌日は人気のパン店DACOMECCA(ダコメッカ)、I’m donut?(アイムドーナツ)で行列。1000円で揚げたての天ぷらが食べられる「ひらお」でコスパの高さに感激。

<編集後記>
昼酒が入ってもあまり多くを語らない岩田さんを横から美智子さんがフォローしながらの小1時間。口数が少ないのは嘘が嫌いだから、誠実さの故と受け止めた。本当は理屈などいらない。ずっと見ていたい、触れていたい作品がそこにある。その幸せを改めて思う。(鈴木)




82nd exhibition

iwata keisuke

2025.03.21 fri. — 04.13 sun.
●3/21(fri.)-23(sun.) 岩田さんの器で楽しむコーヒーとお茶、そして月とピエロさんのお菓子

photo by suzuki shizuka


   

82nd exhibition iwata keisuke

2025.03.14 /life - gallery exhibition

2025.03.21 fri.- 04.13 sun.
12:00→18:00

photo by suzuki shizuka




岩田さんの毎朝のルーティンに急須作りがある。仕事始めに大中小いずれかのサイズにとりかかる。前日に作りおいていた丸い塊をくり抜きながら、蓋、注ぎ口、取っ手の各パーツを作る。風に当て硬さを見ながらそれらを組み合わせて完成させていく。私はこの急須が好きで、家に2個、工房に1個、店に2個、中国茶用に1個と、使い方やニーズに合わせて大きさや色を使い分けている。今回、岩田さんに直球の質問をしてみた。「作品作りで大切にしていることは?」一言めで「手を抜かないこと」それから、「時間に追われて慌てないこと。価格なども含めて広い意味で誠実であること」とおっしゃる。多くの作品を世に送り出してきたモノ作りの大先輩からこの言葉をもらい、大きく何度もうなずく自分がいた。 店主:辻和美


●3/21(金),22(土),23(日) 岩田さんの器で楽しむコーヒーとお茶、そして月とピエロのお菓子(数量限定)

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